西養寺跡(読み)さいようじあと

日本歴史地名大系 「西養寺跡」の解説

西養寺跡
さいようじあと

[現在地名]高知市介良

鉢伏はちぶせ山の西北麓にある。文治三年(一一八七)、源頼朝の弟希義追善のために建立された。源希義については「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)九月二五日条に詳しい。希義は永暦元年(一一六〇)平治の乱の父義朝の罪に連座して土佐国介良けら庄に流されていたが、折から頼朝が挙兵、希義はかねて約諾のあった夜須やす(現香美郡夜須町)夜須七郎行宗のもとに赴く途中、平家方の蓮池家綱・平田俊遠に追撃され、年越としごえ(現南国市)で討たれた。希義の屍は平家への後聞を恐れて葬られることなく打捨てられたままであったが、介良庄住侶琳猷が荘内填田郷に葬って墓所を営み、遺髪をもって頼朝に面会、事の次第を語った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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