要路城跡(読み)ようろじようあと

日本歴史地名大系 「要路城跡」の解説

要路城跡
ようろじようあと

[現在地名]大和村都賀西

江川西岸、光宅寺こうたくじ谷の奥の標高約三二〇メートルにある山城跡。用路城とも記され、よぼろ城・養老ようろう城・都賀西つがにし城とも称されたという。築城年代は未詳だが、一説に南北朝期に佐波氏が築城したともいわれる。明確に史料に登場するのは弘治二年(一五五六)と思われる三月二〇日の毛利元就書状(閥閲録)で、「都賀、用路計ニてハ、佐波江伝難成候条、山南一城取付、佐波伝ニ仕度由候」とある。当時、石見進出を本格化させていた毛利氏は用路城を佐波さわ(現邑智町)方面への中継点の一つとしていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む