日本歴史地名大系 「見ル目原」の解説 見ル目原みるめがはら 山形県:上山市阿弥陀地村見ル目原[現在地名]上山市阿弥陀地・関根藤吾(とうご)・阿弥陀地(あみだち)の東、細谷(ほそや)の北方に沿い、関根(せきね)・相生(あいおい)・三上(みかみ)の三関根西方に連なる約一二〇町余の原野。延享四年(一七四七)五月、打続く凶作で米価は騰貴し、上山地方には他領米も入らず、困窮した町人は二日(ふつか)町の八幡(はちまん)河原に集まり、米安売の穀屋を立てるよう要求、一三日には三〇〇人が結集し、前年の山形での穀屋つぶしにならって悪徳商人への町方打毀を決行した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by