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一般に仏教における聖典編集のための集会をいう。パーリ語のサンギーティsagītiまたはサンガハsa
gahaの訳語で、それぞれ「合誦(ごうじゅ)」または「集成(しゅうせい)」を意味する。今日に至るまでつごう6回開催されているが、その内容は時代とともに変化している。また南方の伝承と北方の伝承とでは食い違いがあり、かつその歴史性が学者によって問題とされる場合もある。
まず第1回の結集は、仏陀(ぶっだ)(釈迦(しゃか))の入滅直後マガダの都ラージャグリハ(王舎城)の城外の精舎(しょうじゃ)で行われたといわれる。この第一結集の経緯についてパーリ律蔵(りつぞう)の「小品(しょうぼん)」に次のように伝えられている。仏陀の入滅まもないとき、マハーカッサパ(摩訶迦葉(まかかしょう))たちの一行はある外道(げどう)から仏陀の訃報(ふほう)を聞き知った。ところが一行のなかの老比丘(びく)(僧)が、「このことは汝(なんじ)らにふさわし、このことは汝らにふさわしからず、と我らを悩ました大沙門(だいしゃもん)から脱することを得た云々(うんぬん)」の暴言を吐いたのである。これを聞いたマハーカッサパは、やがて正しい教法が乱れ、正しい戒律が衰えるときのくるのを予感して、「友よ、我らはよろしく法と律とを結集して、非法興り法衰え、非律興り律衰えるときに先んじようではないか」と提言した。かくしてマハーカッサパの指導の下に集会が開催され、アーナンダ(阿難(あなん))とウパーリ(優婆離(うばり))の2人が誦出者(じゅしゅつしゃ)となり、それぞれ法と律を誦(じゅ)したのであるが、これにあわせて参加者一同がともに誦出したところから、「合誦(ごうじゅ)」の名が由来する。このようにして仏陀の説いた法と律とが教団全員の記憶のうちに刻み込まれたのであり、仏陀の人格と意志が外化され、口誦伝承として確立したのであり、その意義はすこぶる大きい。
第2回の結集は、仏陀の滅後およそ100年に、戒律上の争いがもとで、ベーサーリにおいて700人の比丘が参加して行われた。また南方の上座部の伝承によれば、第3回の結集がアショカ王の時代に都のパータリプトラで行われ、モッガリプッタ・ティッサを首座として1000人の比丘が参加し、このとき『論事』の成立をみたといわれる。第4回の結集は、紀元前1世紀のころスリランカのアルビハーラ(石精舎(せきしょうじゃ))で開催され、このとき初めて、それまで口誦で伝承されていた三蔵(経律論)がその注釈とともに書写されたといわれており、その意義は大きい。また北方の伝承によると、2世紀のカニシカ王治下のカシミールで『大毘婆沙論(だいびばしゃろん)』が編集されたのであるが、これを第四結集とみなしている。さらに下って第5回の結集は1871年ビルマ(現ミャンマー)のマンダレーで、また第6回の結集は1954年仏誕2500年を記念して同じくビルマのラングーン(現ヤンゴン)で開催され、そのときビルマ文字によるパーリ蔵経の出版がなされたのである。
[高橋 壯]
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
… 釈迦の求め得たものは〈法〉であり,法こそは仏教の中核をなすものである。法は釈迦の瞑想により得た思弁的なものであるため,抽象的な文字に託され,統一的なテキストである経を求めて結集(けつじゆう)が繰り返された。経の内容も,教団の拡大と大乗経典の発達にともない,経,律,論に分かれ,〈大蔵経〉として集大成された。…
…〈律蔵〉は釈迦によって制定された教団の規則類の集成である。伝承によれば,釈迦入滅の後,仏弟子たちが集まって,生前聴聞した〈法〉と〈律〉を誦出し,確定した(これを結集(けつじゆう)という)。〈論蔵〉はアビダルマと呼ばれ対法と訳されるが,法(教説)の研究で,対機説法(相手の素質に適した教えを説くこと)を旨とした仏説を解釈し,統一見解を示すのが目的とされる。…
※「結集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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