日本歴史地名大系 「見入新田・見入子新田」の解説 見入新田・見入子新田けんにゆうしんでん・けんにゆうねしんでん 三重県:桑名郡木曾岬村見入新田・見入子新田[現在地名]木曾岬村見入西には加路戸(かろと)新田・大(おお)新田があり、東には鍋田(なべた)川があり、尾張国海西(かいさい)郡(現愛知県弥富町)に対する。宝暦九年(一七五九)までは見入川(東加路戸川)が南北に木曾岬地域を縦断して鍋田川に注いでいた。新田はその旧堤と、鍋田川堤に沿って営まれた。上・下・東の見入のほか、辰高(たつたか)の集落がある。寛永一四年(一六三七)長島(ながしま)城下の出口(でぐち)村伊藤太郎左衛門が開発(長島細布)。辰高は後年の開発である。宝暦九年見入川が埋立てられ、加路戸曲輪と一連の新田となった。近世を通じて長島藩領。安政元年(一八五四)家数六三、人数一九〇(伊勢長島誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by