見槻中村(読み)みづきなかむら

日本歴史地名大系 「見槻中村」の解説

見槻中村
みづきなかむら

[現在地名]船岡町見槻中

郡家こおげ村の南に位置する。正保国絵図正保郷帳には水木中村と記載されたが、元禄国絵図・元禄郷帳作成にあたって見槻中村と改められた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。拝領高は三一一石余、本免は五ツ六分。藪役銀四匁五分を課されており(藩史)、倉吉荒尾氏・小泉氏・仙石氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」によれば家数四二。産物は桑・紙子・真綿木綿。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高三八五石余、竈数三八。安永二年(一七七三)郡家村との間で入会相論が起きている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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