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観規 かんき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

観規 かんき

?-782? 奈良時代の僧,仏師。
日本霊異記」によれば,宝亀(ほうき)10年(779)先祖がたてた紀伊(きい)名草郡(和歌山県)能応村の弥勒(みろく)寺に釈迦丈六像と脇侍(きょうじ)像をつくり,安置した。さらに高さ3m余の十一面観音像をほり,未完のまま没したが,2日後にいきかえり,仏師武蔵村主多利丸(むさしのすぐり-たりまろ)に完成を託し,天応2年2月15日に没したという。紀伊出身。俗姓は三間名干岐。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

観規

没年:延暦1.2.15(782.4.2)
生年:生年不詳
奈良時代の僧。紀伊国名草郡能応里(和歌山市)の生まれ。俗姓三間名干岐。観岐ともいう。『日本霊異記』(下巻第30)にその説話がある。彫刻に巧みで智恵のある僧であるが,農業を営み,妻子を持ち俗人としての生活を送っていた。氏寺を弥勒寺(別称能応寺)といい,丈六の釈迦像,脇侍を作りあげ,10尺の十一面観音像を作ろうとしたが,そのなかばで死んだ。だが2日後に生き返り,仏師に完成を願って2月15日の仏涅槃の日に死んだという。当時の地方の小豪族クラスにおける,造像という物的な側面に対する強烈な意識がみてとれる。<参考文献>景戒編『日本霊異記』

(鷺森浩幸)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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