平安初期の貴族。舎人(とねり)親王の曾孫。正五位下小倉王の第5子。はじめ繁野王といったが,804年(延暦23)清原真人を賜姓されたときに夏野と改めた。803年内舎人,810年(弘仁1)蔵人,811年従五位下で大伴親王(のちの淳和天皇)の春宮亮。823年に淳和天皇が即位すると以後めざましく昇進し,まず従四位下蔵人頭・左近衛中将ついで参議,825年(天長2)従三位中納言・左衛門督,826年左近衛大将・民部卿を兼ね,830年大納言,832年右大臣となり,833年従二位。《令義解》(833)の撰定を主宰し,また《日本後紀》(840)の編纂に途中から参加し,833年には《内裏式》(821)を修補した。このほか,百姓による常荒田一身の耕作・六年後輸租の制度や親王任国を提案して採用され,また封物で播磨国魚住船瀬を修造した。別荘双岡山荘にちなんで,比(ならび)大臣,双岡大臣と呼ばれる。《経国集》(827)の作者でもある。
執筆者:西山 良平
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平安初期の官僚。舎人(とねり)親王の孫小倉(おぐら)王の子で母は小野氏。幼名を繁野(しげの)王といったが、804年(延暦23)に父の上表により清原真人(まひと)を賜姓され、名を夏野と改めた。内舎人(うどねり)を経て、810年(弘仁1)に蔵人(くろうど)となり、淳和(じゅんな)天皇の即位に伴い蔵人頭(とう)兼左近衛(さこのえ)中将となり、ついで参議となった。825年(天長2)従三位(じゅさんみ)中納言(ちゅうなごん)兼左衛門督(さえもんのかみ)となり、左近衛大将、民部卿(きょう)などを歴任し、832年には右大臣となった。この間『日本後紀』の編纂(へんさん)に加わり、833年には『令義解(りょうのぎげ)』を撰進(せんしん)し、また『内裏式(だいりしき)』も修補した。常陸(ひたち)など3国の国守に親王を任ずる親王任国制はその提案による。詩文を愛し『経国集(けいこくしゅう)』の作者でもある。別業双岡(ならびがおか)山荘の名より比(ならび)大臣、双岡大臣ともよばれた。
[佐藤宗諄]
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
782~837.10.7
平安前期の公卿。父は小倉王(舎人(とねり)親王の孫),母は小野綱手の女。子に滝雄・沢雄・秋雄がいる。幼名繁野(しげの)。双岡(ならびがおか)大臣・比(ならび)大臣とも称する。804年(延暦23)清原真人(まひと)を賜り,夏野を名のる。823年(弘仁14)淳和天皇の即位にともない,春宮亮(とうぐうのすけ)から蔵人頭(くろうどのとう)となる。のち右大臣・従二位に昇った。「日本後紀」「令義解」「内裏式」の編纂・撰進に尽力。たびたび同天皇を双岡山荘に迎える。民部卿を勤め,親王任国の設置などを献策した。
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