20世紀日本人名事典 「角田覚治」の解説
角田 覚治
カクダ カクジ
大正・昭和期の海軍中将
- 生年
- 明治23(1890)年9月23日
- 没年
- 昭和19(1944)年8月2日
- 出生地
- 新潟県
- 学歴〔年〕
- 海兵(第39期)〔明治44年〕卒,海大〔大正14年〕卒
- 経歴
- 昭和2年第二艦隊参謀となり、連合艦隊参謀、第一航空戦隊参謀、砲術学校教官、「木曽」「古鷹」「磐手」各艦長、海軍兵学校教頭、「山城」艦長、14年佐世保鎮守府参謀長、15年第三航空戦隊司令官、16年9月第四航空戦隊司令官となり、太平洋戦争開始後、マレー沖で連合軍艦隊と交戦、戦果をあげた。17年6月ミッドウェー作戦ではアリューシャン列島の米軍基地空襲を指揮、17年7月第二航空戦隊司令官として南太平洋海戦に第6次攻撃まで敢行、同年中将となった。18年第一航空艦隊司令長官となり、19年8月米機動部隊のテニヤン島攻撃で自決した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報