託羅郷
たらごう
郷域は古墳の分布状況などから現藤津郡太良町の大浦を中心とする一帯に比定される。
郷名は「肥前風土記」に、
<資料は省略されています>
とみえ、景行天皇行幸の時、当地は狭い土地だが、海産物が豊かで、食物が十分ある所だからと、「豊足村」と名付けたことに由来すると伝える。「和名抄」にはみえない。
また託羅峯(現多良岳)のことが「肥前風土記」塩田川の項に「此川之源 出
郡西南託羅之峯
、東流入
海」と、また「筑後風土記」逸文に「昔者楝木一株生
於郡家南
其高九百七十丈朝日之影蔽
肥前国藤津郡多良峯
」とみえる。
託羅郷
たからごう
「和名抄」高山寺本・伊勢本・東急本は「多加良」と読む。同書名博本は「タカラ」と訓を付す。「阿府志」は勝浦川下流域の平野地帯にあたる大谷・西須賀・方上(現徳島市勝占地区)および宮井・本庄・八多・渋野(現同市多家良地区)に比定する。また野口年長の「阿波国郷名考」(大正一二年刊「勝浦郡志」所引)は宮井村の宝傍示という地名の存在を指摘したうえで、宮井・飯谷・八多(現同市同地区)とその南に連なる生夷谷(勝浦盆地)諸村に比定する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 