日本歴史地名大系 「許田村」の解説 許田村ちゆーだむら 沖縄県:沖縄島北部名護市許田村[現在地名]名護市許田(きよだ)名護(なぐ)間切の南西に位置し、北東は数久田(しつた)村。チューダとよぶ。東に石(いし)岳(二三六メートル)・久志(くし)岳(三三五・一メートル)を抱え、そこを源とする福地(ふくじ)川は名護(なご)湾河口に沖積低地を形成し、集落が立地する。河口付近は入江をなし、許田の内海(許田湖)とよばれた。絵図郷村帳に名護間切「久田村」とみえる。琉球国高究帳でも同様に記され、高頭四〇石余、うち田三八石余(うち永代荒地七石余)・畠一石余。草分の家は一般的に根屋(にーや)と称され、伝承ではマシドゥイヤー(桝取屋)・メームトゥ(前元)・メーヌヤー(前の屋)の三軒とされる。「琉球国由来記」に許田村と記され、泊口湊口ノ嶽・ヨリアゲマキウノ嶽(神名はともにイベヅカサ)、神アシアゲは喜瀬ノロの管轄。現在の御嶽は集落の北にクシヌウガン(後の御嶽、ヨリアゲマキウノ嶽ともいう)、西の岬寄りにメーヌウガンがあり、拝井泉としてアミガーがある。琉歌に「港きよらさや湖辺底 泊きよらさや那覇の泊(港の美しいのは湖辺底の港、泊の美しいのは那覇の泊である)」(琉歌全集)と詠まれた湖辺底港(クヒンジュク港とよび、瓶底港とも表記)は近世期の重要津口である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by