証菩提寺(読み)しようぼだいじ

日本歴史地名大系 「証菩提寺」の解説

証菩提寺
しようぼだいじ

[現在地名]戸塚区上郷町

いたち川上流の稲荷いなり川中流左岸にある。五峯山一心院と号し、高野山真言宗、本尊阿弥陀如来。治承四年(一一八〇)八月の石橋いしばし(現小田原市)の合戦で戦死した佐奈田与一義忠の供養のため、源頼朝が鎌倉の鬼門にあたるこの地に造立したと伝える。

文保二年(一三一八)四月の証菩提寺鐘銘(県史二)には「海東相州山内本郷有奇麗祠、号証菩提寺、文治五年剞終功、素律八月供養整儀、金刹教主之安尊像也」とあって、文治五年(一一八九)の竣工供養とするが、天文一一年(一五四二)閏三月日の証菩提寺修造勧進状写(県史三)は「寺則文治五年之開基也、当初右大将頼朝、治承二年、楯籠于石橋山、欲禦怨敵之剋(中略)于時佐奈田与一義忠、生武勇之家、能稟其芸、為幕下将軍、捨一命者也、君感其忠功、為彼菩提、□弥陀三尊、建此伽藍、号証菩提寺、建久八年、遂供養」と記し、文治五年開基、建久八年(一一九七)建立としている。また「吾妻鏡」建長二年(一二五〇)四月一六日条には当寺住持より寺修理の申出があり、ここに「是右大将家御時、為資佐那田余一義忠菩提、建久八年建立之後云々」とあり、建久八年建立を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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