…山伏や願人坊主(がんにんぼうず)がその奉ずる神の本地や縁起を説く祭文や,宗教色の濃い唱導祭文をもって諸国を回遊する一方,当意即妙の諧謔を交えたもじり祭文や若気(にやけ)祭文も喜ばれた。下世話なニュースを口説調に詠み込んだ歌祭文,説経節と祭文を組み合わせた説経祭文,下層民と結びついて命脈を保った本流の門付祭文など江戸中期以降その種類も増えるが,共通する特色は〈抑(そもそも)勧請おろし奉る〉など祭文形式を踏み,錫杖を短くした金杖(きんじよう)や法螺貝を伴奏に使うことである。幕末に生まれた浪花節や口説(くどき)音頭の一種である江州音頭,河内音頭なども祭文の系統を引いたものである。…
…元禄(1688‐1704)ころには天満重太夫,武蔵権太夫,吾妻新四郎,結城孫三郎らが出たが,享保(1716‐36)ころ,2世石見掾藤原守信あたりを最後として,江戸の説経座(劇団)は衰えたらしい。なお,江戸では寛政(1789‐1801)ころ,祭文(さいもん)と説経節とを結びつけた説経祭文がおこり,享和(1801‐04)ころには,この系統から薩摩若太夫が出て説経芝居を再興したが,すぐに衰え,その遺流がわずかに伝えられて,明治期に入って若松若太夫が出た。前者の流れを薩摩派といい,後者の流れを若松派という。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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