警視庁物語(読み)けいしちょうものがたり

改訂新版 世界大百科事典 「警視庁物語」の意味・わかりやすい解説

警視庁物語 (けいしちょうものがたり)

刑事たちの地道な捜査活動を描きつつ,犯罪をとおしての社会学と現実の虚構化を目ざす映画学とを巧みに一体化させた東映のシリーズ。1956年《警視庁物語・逃亡五分前》から64年の《警視庁物語・行方不明》まで,計24作つくられた。いずれも脚本は警視庁鑑識課出身の長谷川公之による。ただし,1955年に朝日新聞警視庁担当記者団の原作による秀作終電車の死美人》(小林恒夫監督)があり,〈警視庁物語〉のタイトルはついていないが,これを実質的な第1作とみなすことができる。併映作がカラーになっても一貫してモノクロ作品でありつづけたこと,堀雄二,松本克平,花沢徳衛,神田隆,山本麟一,南原伸二,南広など,ほとんどわき役専門の俳優たちが刑事群像を演じたことからみても,明らかにこのシリーズが2本立て番組の添物作品,低予算でスターなしのいわゆるB級作品であることを示している。シリーズに共通特色は,刑事たちの集団ドラマであること,そしてとくにオール・ロケによるセミ・ドキュメンタリー調のリアリズムで,タクシー運転手殺しを扱った村山新治監督作品(第8作《魔の伝言板》)をはじめ,刑事たちの捜査活動の綿密な描写の積み重ねの中,高度成長期にさしかかる社会の底辺に生きる人間の苦しみが浮かび上がる。独自の手法は連作が進むにつれて洗練され,秋田,東京,四日市,沖縄を結ぶ捜査活動を通じて,日本の貧困と飢えが画面上ににじみ出てくる第21作の飯塚増一監督《全国縦断捜査》(1963)で頂点に達した観があった。映画史的にいえば,このシリーズは古くからある捕物帳時代劇の現代版ともみなせるが,なまなましい現実と映画とが深く交わることによって,別種の映画的な力を実現させ,また,10年にわたるシリーズゆえ,全体が一つの世相史ともなっている。このシリーズの影響下に他社でも類似の刑事もの映画がつくられ,その後テレビでも《七人の刑事》《特別機動捜査隊》からはじまる数多くの刑事ドラマが流行することになる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の警視庁物語の言及

【活劇映画】より


[戦後の活劇]
 戦後の活劇の隆盛をもたらしたのは新会社,東映で,前身の東横時代から,占領軍による時代劇規制のもと,時代劇スターが現代劇に出演,片岡千恵蔵の《多羅尾伴内》シリーズ(1947‐60)や《にっぽんGメン》(1948),市川右太衛門の《ジルバの鉄》(1950),両者共演の《難船崎の決闘》(1950)などがつくられ,これらの探偵活劇や暗黒街活劇は〈時代劇王国〉東映のもう一つの顔になった。1950年代から60年代にかけて,探偵活劇の流れからは《警視庁物語》シリーズ(1955‐64)や《点と線》(1958),《黄色い風土》(1961)などの犯罪・推理ドラマが生まれ,暗黒街活劇の系譜としては,片岡千恵蔵の《奴の拳銃は地獄だぜ》(1958),鶴田浩二主演《花と嵐とギャング》(1961),《誇り高き挑戦》(1962),高倉健主演《恋と太陽とギャング》(1962),《暴力街》《恐喝》(ともに1963)などがつくられ,小林恒夫,石井輝男,深作欣二らの活劇監督が輩出した。そして60年代の後半,やくざ映画が時代劇を衣装替えした活劇として一大ブームとなるとともに,その中で現代活劇としての暴力団抗争劇が量産された。…

※「警視庁物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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