20世紀日本人名事典 「護得久朝惟」の解説 護得久 朝惟ゴエク チョウイ 明治・大正期の実業家,政治家 沖縄広運社社長;衆院議員。 生年尚泰王21年9月5日(1868年) 没年大正12(1923)年7月30日 出生地琉球国首里(沖縄県那覇市) 学歴〔年〕慶応義塾中退 経歴旧琉球国王・尚泰の娘婿。上京して慶応義塾に学ぶが、22年に中退して沖縄に帰郷。26年義理の兄である尚順や新聞記者の太田朝敷らとともに「琉球新報」を発刊。同紙ははじめ沖縄県知事奈良原繁に近い野間五造を主筆に据えるが、野間の退社後は自ら主筆となり、琉球王族・尚家の再興を目指す公同会運動を進めた。運動の挫折後は実業界に転じ、31年には尚家の財政基盤となる沖縄広運社を設立。大正3年には衆議院選挙に立候補して当選し、憲政会に属した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「護得久朝惟」の解説 護得久朝惟 ごえく-ちょうい 1868-1923 明治-大正時代の実業家,政治家。尚泰王21年9月5日生まれ。尚泰王の娘婿。慶応義塾を中退し,郷里沖縄にもどる。明治26年琉球新報の設立にくわわり,29年尚家再興を期する公同会運動に参加。31年沖縄広運社長。大正3年衆議院議員(当選3回,憲政会)。大正12年7月30日死去。56歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by