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谷三山 たに さんざん

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美術人名辞典の解説

谷三山

江戸後期・幕末の儒者。大和生。名は操、字は子正、通称は新助、別号に淡庵・淡斎などがある。少年期に聾となったが読書に努め、家塾興譲館で諸生を指導した。のち大和国高取藩に招かれ、三人扶持を給された。慶応3年(1867)歿、65才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

谷三山 たに-さんざん

1802-1868* 江戸時代後期の儒者。
享和2年生まれ。少年期に聴力をうしなうが独学で正史,経伝をおさめ,のち猪飼敬所(いかい-けいしょ)にまなぶ。家塾興譲館をおこす。嘉永(かえい)2年大和(奈良県)高取藩儒となり,教学の振興,尊王攘夷(じょうい)策を説いた。慶応3年12月11日死去。66歳。大和出身。名は操(みさお)。字(あざな)は子正,存誠(正)。通称は新助,昌平。別号に淡庵,淡斎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

谷三山

没年:慶応3.12.11(1868.1.5)
生年:享和2(1802)
江戸後期の儒学者。名は操,字は子正また存誠,通称市三,新助,のち昌平。三山は号。大和国(奈良県)高市郡八木で商業を営む父重之と母ちやの3男。家は豊かであったが幼少より多病で,15,6歳ごろ聴力を失う。正史経伝の勉学に励み,文政12(1829)年京に出て猪飼敬所に就いた。天保6(1835)年ごろ家塾興譲館をおこし門人多数におよんだ。15年1月高取藩(奈良県)藩主植村家教により儒臣に抜擢され士籍に列した。その学問は経世に志あり,また藩政や尊王攘夷,あるいは山陵修復についてなど,たびたび上書した。頼山陽,森田節斎などと親しかった。晩年に失明した。<著作>奈良県高市郡教育会編『三山谷先生遺稿』<参考文献>大伴茂『聾儒谷三山』,大月明『谷三山の尊王攘夷思想について』

(沼田哲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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