江戸幕府の遠国奉行の一つ。老中支配。定員2名(うち3名),役料1500俵,席次は長崎奉行の次で芙蓉間詰。幕府は,1799年(寛政11)蝦夷地御用掛を置いて東蝦夷地を仮上知し,1802年(享和2)永久上知として蝦夷地御用掛を蝦夷奉行,ついで箱館奉行と改め,蝦夷地(北海道)の本格的な経営に着手した。07年(文化4)松前氏を陸奥国梁川に移封するとともに,奉行所を松前に移して松前奉行と改めた。最初の奉行は戸川安諭(やすのぶ),羽太正養(はぶとまさやす)。
幕府は,蝦夷地支配の眼目をアイヌの〈懐柔・撫育〉にありとして,アイヌ交易の是正,風俗の同化,さらには教化を目的とした蝦夷三官寺(国泰寺,等澍院,善光寺)の建立などの政策を断行したが,蝦夷地支配の本来的な目的は,ロシアの南下に対する対応と蝦夷地収益の2点にあり,アイヌに対する政策も親露化の防止という観念から行われたものであった。また,蝦夷地の警備は弘前,盛岡2藩に命じ,非常時には秋田,庄内,仙台,会津諸藩にも出兵を命じた。経営にあたっては,従来の場所請負制度を廃止し,高田屋嘉兵衛,伊達林右衛門,栖原角兵衛などの新興ないし江戸系商人を起用して直捌(直営)を行い,箱館と江戸に会所を設置して蝦夷地産物流通の円滑化をはかった。択捉(えとろふ)島の開発が行われたのもこの時期である。しかし,1807年以降はしだいに消極策に変化し,12年場所請負制の復活を契機に財政的には松前藩政と同様,場所請負人の運上金や沖の口収益に依拠した政策へ転換し,21年(文政4)の松前氏の復領により松前奉行を廃止した。
その後,神奈川条約により箱館開港となると,54年(安政1)幕府は箱館および近郊5~6里の地を上知し,再び箱館奉行を設置し,翌年2月松前藩に東部木古内村以東および西部乙部村以北の地を返上させてその管轄とした。奉行所は松前藩の箱館役所を利用し,64年(元治1)五稜郭に移転した。在職者は竹内保徳,堀利煕はじめ13名で,1858年外国奉行設置後は兼務ないしは転出した者が多い。67年(慶応3)足高(たしだか)料を廃止し,持高となり役金4000両となった。この期の政策の中心は蝦夷地の警備と開拓にあり,警備は前期と同様東北諸藩に分担させたが,59年以降は東北6藩に分領支配を命じ,諸藩による蝦夷地経営と密着した形で進めた。経済的には松前藩政下の役金体制を踏襲したものの,従来松前藩で禁止していた大網の使用を許可し(1855),さらに山越内番所の廃止や出稼人に対する諸規制を緩和するなど,漁業生産力の上昇をはかり,かつ蝦夷地への和人の定住を促進した。また,水田稲作の奨励や石炭,金,銀,銅,鉄など鉱山の開発に力を注ぐなど漁業以外の諸産業の発展をうながし,1857年には箱館産物会所を設置して蝦夷地産物の流通統制を行い,生産・流通両面からの積極的な掌握を試みている。さらに,白糠,茅沼炭坑での罪人の使役,久遠場所臼別への人足寄場の設置と罪人の漁場での使役など,この期の蝦夷地政策は前期と著しく趣を異にし,むしろ多くの点で明治以降開拓使によって実施された諸政策と類似していたところに大きな特徴がみられた。1868年(明治1)箱館裁判所の設置により箱館奉行は廃止された。
執筆者:榎森 進
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江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。老中の下に属し、蝦夷(えぞ)地行政をつかさどった。奉行所を箱館(北海道函館(はこだて)市)に置き、前後二期にわたって設けられ、蝦夷地の経営・開発や警固をはじめ、和人地の民生、あるいは後期の場合には開港場箱館にかかわる通商・外交なども管掌した。
[小林真人]
幕府は仮上知(かりあげち)していた東蝦夷地を永久に直轄地にするにあたって、1802年(享和2)2月、従来の蝦夷地御用掛を廃して蝦夷地奉行を設け、同年5月10日これを箱館奉行と改称した。その後、幕府が松前(まつまえ)・蝦夷地全域を直轄することになったのに伴い、1807年(文化4)10月24日、奉行所の松前移転と松前奉行への改称が命じられた。松前奉行は松前藩が松前・蝦夷地に復領する1821年(文政4)まで存続した。
[小林真人]
箱館開港に対処するため1854年(安政1)6月30日設置。翌年には松前・蝦夷地の大部分、木古内(きこない)以東、乙部(おとべ)以西が幕領となり、箱館奉行の管轄に入った。その後、1864年(元治1)に乙部以西熊石(くまいし)(八雲町)まで八か村が松前藩に還付されたが、1868年(慶応4)4月12日に維新政府により箱館裁判所が置かれるまで存続した。
[小林真人]
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江戸幕府の遠国奉行の一つ。老中支配。幕府は1798年(寛政10)蝦夷地取締御用掛をおき,翌年東蝦夷地を仮上知(あげち)した。1802年(享和2)2月東蝦夷地全域を永久上知して蝦夷地奉行を新設,同年5月箱館奉行と改称。ロシア南下への対応と蝦夷地収益を主務とした。07年(文化4)松前奉行と改称し,22年(文政5)廃止。54年(安政元)箱館開港決定により再置。奉行所は64年(元治元)五稜郭に移転。職務は蝦夷地警備と開拓。68年(明治元)4月箱館裁判所の設置により廃止。
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