狭義の犯罪学は犯罪現象と犯罪原因とをおもな研究対象とする学問をいう。人間に関する経験科学の成果に基づいて,犯罪行動と犯罪人について総合的に研究する。広義では犯罪の防止と鎮圧のための諸方策を研究する刑事政策学をも含む。狭義の犯罪学は,犯罪生物学,犯罪心理学,犯罪精神医学(後2者は広義の犯罪生物学に含まれる),犯罪社会学などに分かれる。また刑事学という用語も狭義または広義の犯罪学と同義に用いられる。
実証的な犯罪学研究は19世紀後半のヨーロッパに始まるといえるが,犯罪人類学の祖で《犯罪人論》(1876)を著したイタリアのロンブローゾは,犯罪人についての解剖学的調査結果や精神医学的知見に基づいて,犯罪人の中には一定の身体的・精神的特徴を具備した者がおり,このような者は必然的に犯罪におちいるものであるとし,これを隔世遺伝説によって説明する〈生来性犯罪人説〉を主張した。この学説は後にゴーリングC.Goringなどの研究によって否定されるに至ったが,ロンブローゾは犯罪人に関する実証的研究の先駆者として偉大な功績を残した。ロンブローゾ以降,犯罪原因として犯罪者の素質を重視する生物学的・精神医学的研究は,とくに20世紀前半のドイツとオーストリアを中心に,フィールンシュタインT.Viernstein,レンツA.Lenz,エクスナーF.Exner等による〈犯罪生物学〉として展開された。クレッチマーは体質生物学的研究に基づいて人間の体型を肥満型,細長型,闘士型(および形成不全型)とに分け,これが気質に関する循環性,分裂性,粘着性の3類型とそれぞれ親和性のあることを指摘してその後の体質と犯罪についての研究に大きな影響を与えた。同様の研究はアメリカにおいても,シェルドンの体型と気質の分類を基としたグリュックS.Glueckの研究などがある。またランゲJ.Langeは双生児研究の手法を犯罪学に導入し,《運命としての犯罪》(1929)を著し,遺伝と犯罪に関する研究の道を開いた。日本にも吉益脩夫の研究がある。K.シュナイダーは精神病質を〈人格の異常のために自身が悩むか社会が悩まされるもの〉と定義し,その類型化を行った。このシュナイダーによる精神医学の視点からの定義と分類は後に広く採用されるに至った。なおアメリカではその原因として人格形成期における家庭環境などの社会的要因が重視され,社会病質という用語などが使われている。
犯罪心理学の理論も多岐に分かれるが,S.フロイトに始まりその後継者であるアイヒホルンA.AichhornやフリードランダーK.Friedlanderなどによって展開された〈精神分析理論〉は,幼少期の人間関係に起因した自我や超自我の発達障害をおもな非行原因とみる。非行少年の事例研究による非行少年群と無非行少年群との比較の結果前者に顕著な情動障害者が多いことを見いだしたヒーリーW.Healyは,非行の原因を幼少期の満たされない人間関係によって生じる情動障害であるとする〈情動障害理論〉を展開した。〈自我同一性危機論〉を主張するE.H.エリクソンは,子どもから大人への移行期としての青年期には自我の再構成を図り,自我同一性を確立することが必要であるが,非行はこれが十分に確立されないところに起因するとする。そのほか次に述べる犯罪社会学の理論の中にも社会心理学的色彩の強いものが存在する。
犯罪の社会的要因を重視する立場は,ロンブローゾを継ぎ,《犯罪社会学》(1884)を著し,〈犯罪飽和の法則〉を主張したフェリや,フランス環境学派のラカッサーニュA.Lacassagne,〈模倣の法則〉を提唱したタルド,社会が一定の行為を犯罪として処罰することは社会の発達の要件であり,一定率の犯罪は社会にとって正常で必然的な現象であるとして,犯罪原因を社会構造自体に求めたデュルケームなどにみられるが,犯罪社会学の理論はその後アメリカにおいて飛躍的な発展を遂げた。
アメリカ犯罪社会学の犯罪・非行理論のうち1930年代から50年代ごろまでの理論は,個人の非行文化への接触と非行文化の伝達の過程を問題とするシカゴ学派の理論と,犯罪・非行を社会構造との関係でとらえるアノミー理論の二つの流れに大別することができる。シカゴ学派からはショーC.R.ShawとマッケーH.D.McKayの〈文化伝達理論〉とサザランドE.H.Sutherlandの〈異質的接触(ディファレンシャル・アソシエーションdifferential association)の理論〉の互いに関連する理論が発展した。前者は非行多発地域の実証的研究に基づき,そこには住民の交代にもかかわらず世代を超えて伝達されていく固有の非行文化が存在することを指摘した。後者は犯罪行動は他の非犯罪的な行動と同じく他の人々との相互作用の中で学習されるものであり,人は犯罪的な行動様式と接触し,非犯罪的な行動様式から隔絶されているから犯罪者となるというものである。この異質的接触理論を修正するものとして,人は自己の犯罪行動を受容してくれるだろうと思われる実在または架空の人に対する自己同一化の程度によって犯罪を行うようになるというグレイザーD.Glaserの〈異質的同一化理論〉や,自分自身についてのよいイメージが非行抑制の重要な要素であるとするレックレスW.C.Recklessなどの〈自己観念理論〉などがある。〈アノミー理論〉はマートンR.K.Mertonがデュルケームの理論を独自に発展させたものである。現代社会は財産や社会的地位の獲得を到達すべき目標として強調するが,この目標を合法的に達成する手段はすべての者に与えられているわけではない。合法的な手段への接近が拒まれている者は非合法な手段によって同じ目標を達成しようとして非行におちいる。この理論は非行の原因をアノミー状況,すなわちこのような文化目標とその達成手段との調和的な関係が破綻した状況に求める。文化葛藤が犯罪を生み出すとするセリンT.Sellinの〈文化葛藤理論〉も社会構造論的アプローチといえる。
コーエンA.K.Cohenの〈非行副次文化理論〉は,アメリカの中流階層の価値体系に対する対抗文化としての,非行集団に特有のサブカルチャーの形成と伝達を論じたもので,異質的接触理論を補充すると同時に文化と社会構造との関係を分析する点でアノミー理論とも関連する。クラワードR.A.ClowardとオーリンL.E.Ohlinの〈異質的機会構造理論〉はシカゴ学派の理論とアノミー理論の統合を試みたものである。シカゴ学派は主として非合法な手段への接近を問題とし,アノミー理論は合法的手段への可能性に注目するが,いずれも一面的であって,個人にとっては合法非合法いずれの手段へのアクセスの可能性も考えられるが,そのいずれをとるかはその人が社会構造内でいずれの手段を利用できる立場に置かれているかによって決定されるとする。またマッツァD.Matzaの〈非行漂流理論〉は非行少年は非行副次文化理論の説くように特定の非行副次文化に支配されてしまっているわけではなく,それと遵法的行動様式との間を漂流しているにすぎないとする。同様に非行少年の規範意識を分析したものに,マッツァとサイクスG.M.Sykesによる〈非行中和技術理論〉〈潜在的価値理論〉などがある。
レマートE.M.Lemert,ベッカーH.S.Becker,シュアーE.M.Schurなどによる〈社会的反作用(ラベリング)理論〉は,主として1960年代から70年代に展開されたが,これは以上の諸理論と視点を異にし,逸脱行動を行う者とそれに対して逸脱者としての烙印を押す社会の構成員や司法機関などとの相互作用に着目し,犯罪・非行とは社会の側がある行為を犯罪・非行であるとレッテルを貼った行為であるとして,社会的反作用自体が逸脱者を生み出す点を指摘する。このような視座の転換によって,立法過程,刑事司法過程,ディバージョン,犯罪統計上の暗数などについての考察の必要性が指摘され,その研究が推進された。1970年代に入ると犯罪は支配層と被支配層との社会関係によって相対的に定められ,両者の価値観の葛藤が犯罪の原因であるとして,法と法執行の絶対性を疑問視するニュークリミノロジー,ラディカルクリミノロジー,クリティカルクリミノロジーなどと呼ばれる犯罪学理論も出現した。
犯罪原因論の個別的領域では,従来から生物学的・心理学的要因として遺伝素質,体質,精神障害,性別,年齢などと犯罪との関係が,また,社会的要因として家庭,学校,職場,地域社会,都市化,経済的条件,マスコミなどと犯罪の関係が研究の対象とされてきた。犯罪原因論は,犯罪は素質と環境との相互作用から生じるとし,このような諸要因を複合的に犯罪の原因とみる〈多元的原因論〉と,上記のアメリカ犯罪社会学の犯罪・非行に関する一般理論のように犯罪の発生過程を一元的・総合的に説明する〈統合的原因論〉とに分けることができる。多元的原因論は20世紀前半のヨーロッパでアシャッフェンブルクG.Aschaffenburgなどによって体系化をみたが,その後アメリカで非行の諸因子を数量化して非行予測の研究を行ったグリュックなどの多元因子論においていっそう徹底したものとなった。多元因子論の成果は個々の非行者の非行原因の解明とその矯正処遇という実践上の要請に資するところが大きいが,多数の因子相互の関連を説明する理論的側面は十分でない。統合的原因論は犯罪行動に統一的な説明を与えることを試みているが,その内容が一般的すぎて理論的枠組みを示すにすぎないとの批判もある。アメリカ犯罪社会学の犯罪・非行の一般理論はアメリカ社会の分析を基礎に構築されているから,日本における犯罪・非行の説明には必ずしも役だたない点も少なくない。また刑事政策の課題が犯罪の抑止,矯正処遇による再犯の防止,被害感情の宥和,応報感情の満足など多様化せざるをえない以上,犯罪原因を解明することによってただちにその防止と鎮圧のための対策を見いだすことができるとする単純な思考はそもそも成り立たないともいえる。しかも,犯罪の具体的な原因を解明しなければ,犯罪の抑止ができないというものでもない。最近では,犯罪原因を探究することによってではなく,犯罪を誘発しやすい地理的・場所的環境を物理的に改善することによって犯罪を予防しようとする〈環境犯罪学〉が,再び注目を集めだしている。犯罪学はいまだ完成された学問ではなく,以上のようなさまざまな問題をかかえている。その研究対象も伝統的な犯罪原因論にとどまらず,逸脱行動とそれに対する社会による反作用の相互関係の解明を求めて,刑事司法制度のプロセス全体とそのそれぞれの局面にまで広がっている。そしてこのような相互作用の解明は,犯罪・非行一般を考察の対象とするより,当面は特定の犯罪・非行類型ごとの実証的研究によってより多くの成果を期待することができる。このような観点から,組織暴力犯罪,薬物犯罪,性犯罪,ホワイトカラー犯罪,交通犯罪などの個々の犯罪類型ごとの研究の深化が望まれる。
犯罪白書や警察白書などに基づいて日本の犯罪情勢を概観すると,1996年の刑法犯の警察による認知件数(犯罪の発生を知ることは不可能である)は246万5503件,検挙人員は97万9275人であり,道路上の交通事故に係る業務上過失致死傷罪(交通関係業過と略す)を除く刑法犯の認知件数は181万2119件,検挙人員は29万5584人である。刑法犯の認知件数の署名別構成比は,窃盗64.4%,交通関係業過26.5%,横領2.4%,詐欺1.9%,器物損壊等1.5%,傷害0.7%,その他2.6%で,窃盗と交通関係業過が全体の9割を占める。
第2次大戦後の交通関係業過を除く刑法犯の認知件数は,戦争直後の混乱期である1948年に約160万件に達した後,全体として減少傾向を続け,73年には約119万件で戦後最低となったが,その後増加に転じ,96年には約180万件で戦後の最高値を記録した。ただし,これを犯罪発生率(人口10万人あたりの認知件数)で見ると,96年は1440で,48年の2000の約7割である。また,各犯罪ごとに,96年の認知件数を20年前と比較すると,窃盗と交通関係業過の増加が著しく,刑法犯総数の増加は主としてこの二つの増加に起因するものである。凶悪犯や粗暴犯には際立った増加は見られない。殺人,強姦,傷害,暴行などはむしろかなり減少しているし,強盗や恐喝も横ばいである。増加の著しい窃盗も,20年前と比較して侵入盗のような悪質なものは減少し,自転車盗,オートバイ盗,車上ねらいなどの比較的軽微なものが増加している。96年における窃盗の認知件数の構成比は,侵入盗が14.1%であるのに対し,自転車盗26.0%,オートバイ盗15.1%,車上ねらい13.2%となっている。
他方,少年非行については,1951年をピークとする第1波,64年をピークとする第2波,そして83年をピークとする第3波という三つの大きな波が見られる。83年には,少年刑法犯の検挙人員が26万1634人に達し戦後最高となったが,その後は,少年人口自体が減少傾向にあることも手伝って,その数は減少傾向にあり,96年の検挙人員は,83年と比較すると,約3分の2となっている。各時期の少年非行の特色を見ると,第1の波が戦後の混乱と貧困を原因とする財産犯を中心とし,第2の波では,経済成長,都市化,核家族化などを背景とした粗暴犯が目だったのに対して,第3の波は,万引,自転車・オートバイ盗,シンナーなどの薬物濫用,性非行などが主で,その家庭も両親がそろい貧困でもないものが多く(非行の普通化・一般化),さらに非行の低年齢化,女子非行の増加が見られた。その背景としては,経済的に豊かな社会における価値観の多様化,家庭や地域社会が果たすべき保護的・教育的機能の低下,犯罪の機会の増大などが指摘されている。そして,第3波における少年非行の特色自体は,それが去った現在における少年非行にもそのままあてはまる。
以上のとおり,統計で見るかぎり,日本の最近の犯罪情勢は,全体としても,また少年非行に限ってみても,必ずしも悪化していないといえよう。しかし,薬物犯罪や暴力団犯罪など,見過ごすことのできないいくつかの深刻な問題もある。覚醒剤を中心とする薬物犯罪は依然として深刻な状況にあり,最近では,中高校生にまで,その濫用が見られる。また,暴力団犯罪についても,薬物犯罪や暴力犯罪への関与が著しいだけでなく,最近では,バブル経済とその崩壊の過程で,暴力団関係者が経済事犯に深く関与する事件が目立つようになり,その活動領域が拡大していることがうかがわれる。このほか,最近の犯罪情勢で注目すべき点としては,国際化に伴い,来日外国人による犯罪が急増するとともに,国際的犯罪集団によると見られる犯罪も発生していること,凶悪犯罪が減少するなかで,コンビニエンス・ストアやパチンコ景品交換所を狙った強盗が増加傾向にあること,コンピューター・ネットワークの普及に伴い,それを利用した新たなタイプの犯罪が現れてきていることなどが挙げられる。
主要国の犯罪情勢を,1995年の犯罪発生率に基づいて,日本のそれと比較すると,主要犯罪では,アメリカ5278,イギリス9465,ドイツ8179,フランス6317であるのに対し,日本は1420である。罪名別に見ても,殺人では,アメリカ8.2,イギリス2.7,ドイツ4.9,フランス4.4であるのに対し,日本は1.0であり,窃盗でも,アメリカ4593,イギリス7071,ドイツ4720,フランス3945であるのに対し,日本は1251にすぎず,日本の犯罪発生率は著しく低い。このように,欧米諸国と比較して日本の犯罪発生率が低い理由としては,日本では社会的・文化的に同質性が保たれており,人々の集団帰属意識が強く,家庭や職場などにおける非公式な社会統制が強いこと,経済成長によって得られた富が国民の間に比較的公平に分配されてきたこと,銃器の規制が有効に行われていること,犯罪の検挙率が高い一方で,起訴猶予制度が積極的に活用され,裁判所でもできるだけ実刑を避けようとする傾向が見られるなど,刑事司法制度が効率的かつ柔軟に運用されていることなどが指摘されている。しかし,このうち,日本社会の特色に関わる要因は,人々の意識の変化と国際化の進展によって徐々に崩れつつあり,日本の犯罪情勢が今後も良好なまま推移しうるかどうかは,必ずしも楽観を許さない状況にある。
執筆者:芝原 邦爾
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犯罪にかかわる事項を科学的に研究する学問。狭義には犯罪現象および犯罪原因をおもな研究対象とし、いわゆる事実学として位置づけられる。人間に関する行動科学・経験科学の知見に基づいて、犯罪行動、犯罪者に対する現実的事象を考察する。犯罪学はさらに、それぞれの学問的関心に従って、犯罪生物学、犯罪心理学、犯罪精神医学、犯罪社会学などに分かれるが、今日では統合される傾向にある。他方、広義には、犯罪防止のための諸方策を研究する刑事政策も含む。英米など刑事政策概念を有しない国々では、このように犯罪学を広義に理解する傾向がみられる。しかし、日本では一般的に、刑事政策と区別する趣旨から、狭義の犯罪学が理解されている。なお、犯罪学や刑事政策の概念のほかに、類似の概念として刑事学があり、これは犯罪学と刑事政策を含む概念であり、一部の学者がこれを用いているが、今日世界的に犯罪学が刑事学の概念を包含する傾向があり、また学問の混乱を回避する意味からもあまり用いられなくなった。いずれにせよ、犯罪学が総合科学として、最終的には犯罪の少ない快適な人間社会を目ざすことには変わりはない。
[守山 正]
科学的な犯罪学は19世紀中葉に生まれた。当時ドイツでは、18世紀からの論争、つまり人間の意思決定をめぐり、人間の意思は自由であるとする古典学派と、すでに決定されているとする近代学派の対立がみられ、刑罰のあり方が厳しく問われていた。また、当時ヨーロッパでは、自然科学の大きな進展をみており、とりわけダーウィニズムの強い影響がみられ、この成果を取り入れた手法が犯罪学にも現れていた。そのようななかで、意思決定論にたつ犯罪学が、イタリアの医学者ロンブローゾによって確立され、彼は今日でも「犯罪学の父」とよばれている。その著書『犯罪人論』(1876)のなかで、ロンブローゾは犯罪者の身体的特徴を調査した結果、一定の結論に達したと発表した。彼によると、犯罪者の身体には一定の特徴がみられ、それらの特徴は非犯罪者とは識別され、また犯罪者は人間の発展途上にある者で、身体的精神的退化現象を示す人間の隔世遺伝的な異常性を有するとした。そして犯罪者の多くは、生まれながらにして犯罪者であるとする生来的犯罪者説を打ち出した。この説は、当時のダーウィンの進化論やオーストリアの解剖学者ガルFranz Hoseph Gall(1758―1828)の骨相学の影響を受けており、当時としては画期的な結論とされた。彼の説はのちにイギリスのゴーリングCharles Goring(1870―1919)によって否定されるが、結論はともかくも、ロンブローゾの手法は、仮説をたて、それに基づいて統制群(犯罪者)と対照群(非犯罪者、兵士)とを比較調査し、その結果から結論を導き、さらに結論に対する検証を行うという実証的過程を踏んでおり、これがまさに科学的手法である点で、犯罪学の基礎を築いたとされるのである。イタリア実証学派とよばれる所以(ゆえん)でもある。イタリア実証学派には、ロンブローゾのほか、フェリーやガロファロがいた。同じ犯罪原因の探求といっても、近代以前では、天変地異説や魔女・魔神説、鬼神論などの原始宗教的、宗教的あるいは恣意的(しいてき)な非科学的分析がみられ、これらと一線を画した意味でも、ロンブローゾの研究は偉大であった。もっとも、現在ではその学説を肯定する者はみられない。また、ロンブローゾ以前にもベルギーの天文学者ケトレーやフランスの社会学者ゲリーAndré Michel Guerry(1802―1866)らがフランスの統計を基に、犯罪のさまざまな社会的法則性を分析したが、もっぱら犯罪学に寄与することを目的とする研究とはいえなかった。しかし、これらの研究も当時の自然科学とりわけ天文学や数学の発展の影響を強く受けて、統計的数値を用いて犯罪現象を説明しようとした点では、科学的であったといってよい。
その後、犯罪原因論は、犯罪者個人内部にその原因を求める素質説と犯罪者外部の社会的環境に原因を求める環境説とが対立し、論争が繰り広げられた。おもに素質説はヨーロッパ大陸を中心に、また環境説はアメリカで発展し、前者は人類学、生物学、心理学、精神医学と、後者は社会学と結合し、これらが総体としての犯罪学を確立するのは20世紀初頭のことである。
[守山 正]
前述したロンブローゾの研究は、犯罪原因として犯罪者の身体的精神的特徴を強調するものであるから、いうまでもなく素質説に根ざす。このロンブローゾの説を否定したイギリスのゴーリングや、その説の復活を試みたアメリカのフートンも生物学的研究として、素質説に立つ。このような研究は、その後ドイツ、オーストリアの学者を中心に発展し、レンツAdolf Lenz(1868―1959)やエクスナーFranz Exner(1802―1853)などの犯罪生物学が栄えた。また、クレッチマーは人間の体型を肥満型、細長型、闘争型に分けそれぞれの型が特定犯罪と強い親和性があると主張し、体質・体型と犯罪との関係を明らかにした。シェルドンWilliam Herbert Sheldon(1898―1977)にも同様の研究がある。さらに、ランゲJohannes Lange(1891―1938)は、犯罪原因論をめぐる素質か環境かの論争に対して双生児研究を導入し、著書『運命としての犯罪』(1929)で犯罪に対する遺伝の影響を示した。なぜなら、遺伝的に同じ双子の一方のみが犯罪を行ったとしたら、その後の環境の違いが犯罪原因と考えられるとされたからである。また精神医学的な研究ではシュナイダーKurt Schneider(1887―1967)がおり、精神病質と犯罪との関係を探求した。
心理学・精神医学の領域では、フロイト、アイヒホルンAugust Aichhorn(1878―1949)、フリードランダーK. Friedlanderらが精神分析理論を用いて、精神障害と犯罪の関係を考察した。とくに、フロイトが幼少時の人間関係における原体験がその後のエゴやスーパー・エゴの発達に障害を起こしうることを発見した研究は著名である。これらの研究は、それ以降の犯罪心理学の発展を助けたが、アメリカではプラグマティズムの伝統から、単一の原因ではなく多元的な原因の存在を承認して、ヒーリーWilliam Healy(1869―1963)の情動障害論、グリュック夫妻Sheldon Glueck(1896―1980) and Eleanor Glueck(1898―1972)の非行少年研究などが続いた。
素質説は今日では衰退しているとはいえ、依然研究が続行されており、アルコールと薬物の犯罪への影響、あるいはXYY症候群という性染色体の異常やホルモン分泌の異常と暴力犯との関係などが研究の対象とされている。しかし、こうした素質説の展開はややもすると犯罪者個人の異常性を強調することになり、犯罪者は通常の正常人であるとする現代の犯罪学的通説からはこれに対する批判も少なくない。
[守山 正]
犯罪・非行の原因を犯罪者の外部に求める環境説は、社会学的見地から研究されてきた。19世紀前半には、前述のフランスやベルギーのケトレー、ゲリーの研究が犯罪と地理、季節、職業、戦争などの関係を探求したのは、当時フランスで発達していた統計や社会学理論の知見を利用したものであった。その後、イタリア実証学派に所属するフェリーが『犯罪社会学』(1884)を著して化学反応と同様に社会における「犯罪飽和の法則」を打ち出し、ロンブローゾの人類学的見地に社会学的見地を加味した。他方、フランスの環境学派に属するラカッサーニュA. Lacassagne(1843/1844―1924)や「模倣の法則」を主張したタルドらは犯罪が社会現象であることを科学的に示した。また、デュルケームはアノミー概念を創設して犯罪正常説を唱え、犯罪が社会の発展にはある程度必要であり、逆に犯罪のない社会は異常であるとした。
犯罪の原因を社会的状況の関係で説明する環境説は、アメリカにおいて1930年代に飛躍的に発展した。とりわけ、シカゴ大学社会学部においてシカゴ学派とよばれる研究者集団の活動は目覚ましく、犯罪学が独立の研究領域として認知され始めるのもこのころである。ショーClifford R. Shaw(1895―1957)とマッケイHenry D. McKay(1899―1980)は非行少年が多く住む地区、すなわちスラム街のような社会解体地区を調査し、その地区には特有の非行文化があることを明らかにして犯罪と地理的状況の関係を示した。また、サザランドEdwin H. Sutherland(1883―1950)は分化的接触理論differential association theoryを打ち出し、非行少年はその生育環境のなかで犯罪文化に幼いころから接触し、それを学習して犯罪者になると説明した。しかし、同じ犯罪文化に接触してもかならずしも非行少年や犯罪者になるわけではないことから、グレイザーDaniel Glaser(1918―2017)はこれを修正して、分化的期待理論differential anticipation theoryを打ち出し、同じ接触をしても、自分の行動を受け入れてくれると思われる実在ないし観念上の人物に同一化して、初めて犯罪行動に関与するとした。他方、フランスのデュルケームの影響を受けたR・K・マートンは、アメリカ社会ではすべての者が富の獲得という同じ文化目標を有しているが、社会的機会の与えられていない下層階級の少年は、その目標を達成するために違法な手段を用いるとする社会構造理論を唱えた。この説を修正したのがコーエンAlbert Cohen(1918―2014)であり、彼はすべての者が同じ文化目標を有しているのではなく、犯罪者や非行少年の集団はアメリカの中産階級の価値・文化を否定し、逆に彼ら固有の副次文化を形成しているとする、非行副次文化論を主張した。このほかにも、アメリカが移民社会であるという特色に根ざして、さまざまな文化の衝突が犯罪原因であるとする文化葛藤(かっとう)理論などもみられた。しかし、このように、アメリカにおいて環境説にたって犯罪原因に関する説明理論が次々と打ち出される状況にあっても、犯罪学は社会学の下位部門であるとする認識が強く、犯罪学が社会学を離れて独立の地位を築くのは、1960年代以降のことである。
[守山 正]
このような素質説や環境説とはまったく異なった視点から犯罪原因論を主張したのがラベリング論labelling theoryであった。すなわち、偶然逸脱行動に陥った者に対して、社会の側の反応として、その者に「逸脱者」「犯罪者」というラベルを貼(は)ることが、その後においてその者の犯罪や非行を促進する要因であるとする考え方である。なぜなら、そのようなラベルを貼られた者は、自分が「逸脱者」であることを受け入れる自己観念を生じさせ、逸脱者にふさわしい行動を繰り返すからである。とくに、警察をはじめとする法執行機関の扱いが逆にその後の犯罪原因となるという主張は、これまでの犯罪原因論のあり方に一石を投じたが、かならずしも理論的に精緻(せいち)ではなく、また対策論も提示されなかったため、その後衰退した。
他方では、そもそも犯罪原因に関心を示さない理論が生まれ、なかでもハーシTravis Hirschi(1935―2017)の統制理論は、人は多かれ少なかれ犯罪や非行を行う存在であり、多くの人がそのような行動をしないのは、両親や学校、地域社会からの統制が働いているからであるとした。すなわち、ハーシは「なぜ人は犯罪をするのか」ではなく、「なぜ人は犯罪をしないのか」を考察したのであった。同様に、フェルソンMarcus Felson(1946/1947― )やクラークRonald Clarke(1941― )が唱える環境犯罪学も、人は犯罪に動機づけられた存在であり、すべての人が機会さえあれば犯罪を行うとして、その機会を統制することによって犯罪・非行を防止できるとした。
[守山 正]
犯罪学は依然学問的な体系化に至っておらず、また社会の大きな変動によってその対象も多様化する様相を示している。全般的な傾向からいえば、かつての犯罪原因論は衰退する傾向にあり、むしろ個別具体的な問題への応答、すなわち個別犯罪の分析の深化が望まれており、さまざまな分野を取り込んだ学際的研究成果を、対策論や制度論に反映させる総合科学の方向を目ざしているといわなければならない。
[守山 正]
『岩井弘融・平野龍一・所一彦ほか編『日本の犯罪学』全8巻(1969~1998・東京大学出版会)』▽『ギュンター・カイザー著、山中敬一訳『犯罪学』(1987・成文堂)』▽『藤本哲也著『犯罪学要論』(1988・勁草書房)』▽『吉岡一男著『ラベリング論の諸相と犯罪学の課題』(1991・成文堂)』▽『『近代犯罪学史料』全19巻(1994・ゆまに書房)』▽『宮沢浩一・藤本哲也・加藤久雄編『犯罪学』(1995・青林書院)』▽『菊田幸一著『犯罪学』(1998・成文堂)』▽『瀬川晃著『犯罪学』(1998・成文堂)』▽『守山正・西村春夫著『犯罪学への招待』(2001・日本評論社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…弁護士,裁判官など法律実務家としての経歴もあるが,ナポリ大学で刑法,刑事訴訟法などの教授も務めた。その主要な業績は,《犯罪学Criminologia》(初版1885,2版1891。フランス,スペイン,ポルトガル,アメリカなどで翻訳された)で,あわれみや誠実さという愛他的感情ないし道徳的感受性に欠ける犯罪を〈自然犯delitto naturale〉とし,この観念を中心として刑事制裁を体系づけた。…
…広義の刑事学とは,犯罪現象ならびにそれに対する種々の方策に関する経験科学的ないし政策論的研究をいい,その研究対象としては,犯罪現象のほか,警察,検察,刑事裁判,行刑,更生保護などの各領域,さらには刑事立法,被害者対策,犯罪予防活動などが広く含まれる。犯罪学,刑事政策という用語をこのような広い意味に用いることもある。 広義の刑事学は,その研究方法・内容により,例えば犯罪原因論などの経験的な事実について研究を行う分野と,犯罪対策に関する政策論的研究を行う分野とに分けられる。…
※「犯罪学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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