谷口廻瀾(読み)タニグチ カイラン

20世紀日本人名事典 「谷口廻瀾」の解説

谷口 廻瀾
タニグチ カイラン

明治〜昭和期の漢学者,教育者 東京帝国大学嘱託。



生年
明治13(1880)年9月5日

没年
昭和17(1942)年3月10日

出生地
島根県

本名
為次

旧姓(旧名)
山村

学歴〔年〕
島根師範学校〔明治35年〕卒

経歴
在学中、父の山村勉斎や浅田柳村・梅野典之らに漢学を学ぶ。明治35年に同校を卒業後、小学校訓導となるが、間もなく文検を受けて合格し、国漢教師として大社中学・松江中学に勤務。その一方で雑誌「島根教育」「島根評論」などで評論の執筆や漢詩選者などを担当した。昭和6年漢学研究のため、中国・大連第一中学校に赴任。帰国後、9年に東京帝国大学嘱託となり、国漢学研究を進めた。「詳解漢和辞典」などの編集に携わったほか、「島根儒林伝」「論語と教養」「山中鹿介」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷口廻瀾」の解説

谷口廻瀾 たにぐち-かいらん

1880-1942 明治-昭和時代前期の教育者,漢学者。
明治13年9月5日生まれ。山村勉斎の次男。島根師範卒業後,郷里島根県内の中学でおしえ,雑誌「島根教育」で健筆をふるう。昭和9年東京帝大嘱託となり「詳解漢和大字典」の編集にたずさわった。昭和17年3月10日死去。63歳。本名は為次。別号は黙渓。著作に「論語と教養」「山中鹿介」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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