谷口香嶠(読み)タニグチ コウキョウ

20世紀日本人名事典 「谷口香嶠」の解説

谷口 香嶠
タニグチ コウキョウ

明治・大正期の日本画家



生年
元治1年8月16日(1864年)

没年
大正4(1915)年10月9日

出生地
和泉国日根野村(大阪府)

本名
谷口 槌之助

経歴
明治17年幸野楳嶺塾に入門、21年「美術叢誌」の発行に参画。24年京都私立日本青年絵画共進会で2等3席、28年内国勧業博で「捻華微笑」が3等1席となり、33年パリ万博では「驟雨」が銅賞を受賞。菊池芳文竹内栖鳳都路華香と共に楳嶺門の四天王といわれた。40年文展で「山姥」が3等賞を受賞して評判を呼ぶ。有職故実に通じて歴史画をよくし、その道での関西の第一人者であった。また27年京都市美術工芸学校教諭となり、42〜45年京都市立絵画専門学校教諭を兼任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷口香嶠」の解説

谷口香嶠 たにぐち-こうきょう

1864-1915 明治-大正時代の日本画家。
元治(げんじ)元年8月16日生まれ。京都の幸野楳嶺(ばいれい)の塾に入門。歴史画にすぐれ,竹内栖鳳(せいほう)らとともに楳嶺門の四天王といわれる。京都市立美術工芸学校,京都市立絵画専門学校でおしえた。大正4年11月9日死去。52歳。大坂出身。本名は槌之助。作品に「山姥」「驟雨」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の谷口香嶠の言及

【円山四条派】より

… 円山四条派は以後も命脈を保ち,近代日本画の確立に大きな役割を果たした。幕末期活躍した画家に円山派の中島来章(1796‐1871)と四条派の塩川文麟(1808‐77)があり,前者の門に川端玉章が現れ,両者に学んだ幸野楳嶺(ばいれい)(1844‐95)は創作とともに教育に力を尽くし,その門から菊池芳文(1862‐1918),三宅呉嶠(ごきよう)(1864‐1919),竹内栖鳳,谷口香嶠(こうきよう)(1864‐1915)ら逸材が輩出した。円山派の森寛斎(1814‐94)や鈴木百年(1825‐91)・松年(1849‐1918)父子も幕末明治期京都画壇の大家として活躍した。…

※「谷口香嶠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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