日本の芸能,音楽の曲名。山姥(やまうば)伝説が能をはじめとして邦楽,歌舞伎にとり入れられ,歌舞伎舞踊では題名はさまざまであるが,山姥物という分類で総括される。
(1)能。五番目物。世阿弥時代からある能。シテは山姥。山姥の山めぐりの曲舞(くせまい)で有名になった都の遊女(ツレ)が居て,名も百万山姥(ひやくまやまんば)と呼ばれていた。その遊女が男たち(ワキ・ワキヅレ)を連れて善光寺へ参る途中,越後の上路(あげろ)の山にかかると,日中なのに急に暗くなった。そこへ中年の女(前ジテ)が現れ,自分は実は山姥だが,例の山姥の曲舞が聞きたくて日を暮れさせたのだと言って立ち去る。夜がふけるとまことの姿の山姥(後ジテ)が現れ,遊女の謡う曲舞に合わせて舞った末(〈クセ〉),本当の山めぐりのさまを見せ(〈立回り〉),峰を伝い,谷を駆けて姿を消す(〈ノリ地〉)。この曲舞の詞章によれば,普通には恐ろしい鬼女とされる山姥も,実は人を助ける山の女であるとし,邪正一如,善悪不二の理を象徴する存在として描かれている。鬼気の充満した山の神秘性がよく出ている能で,日を暮らして旅人の足を止めるという趣向がそれを助けている。
執筆者:横道 万里雄(2)地歌。(1)に基づいた芝居歌。古く《落葉集》(1704)などに収録されるものもあったが,現行されるものは,紀海音(きのかいおん)作詞,沢野九郎兵衛作曲と伝えられる。三下り物で,途中に本調子の古い〈伊勢音頭〉が挿入され,再び三下りに戻って,能の《山姥》および《邯鄲(かんたん)》による〈山めぐり〉部分となる。箏の手は地域・流派によって異なり,京都では浦崎検校,大阪では市浦検校の手が伝わる。地唄舞では,〈山めぐり〉のところだけ舞われることもある。〈伊勢音頭〉部分は歌舞伎の下座(げざ)唄にもとり入れられる。全曲が荻江節にもとり入れられ,井上流ではこれにも振り付けている。なお,歌舞伎の山姥物と異なり,坂田金時説話には無関係。
執筆者:平野 健次(3)歌舞伎舞踊の山姥物。山姥を〈前太平記〉の世界と結びつけ,遊女八重桐が山姥となって山中に住み,坂田蔵人の遺子怪童丸(のちの坂田金時)を育てたとしたのは,1712年(正徳2)大坂竹本座上演の近松門左衛門作《嫗山姥(こもちやまんば)》を嚆矢(こうし)とする。この趣向が歌舞伎に入ったのは29年(享保14)《長生殿白髪金時》が初めで,所作事では62年(宝暦12)の富本《織殿軒漏月(おりどののきにもるつき)》が古い。現行の山姥物の様式が決定したのは,85年(天明5)初世瀬川如皐作詞,初世鳥羽屋里長作曲の常磐津《四天王大江山入》(古山姥)である。現在多く上演されるのは,俗に〈新山姥〉といわれる常磐津《薪荷雪間(たきぎおうゆきま)の市川》で,三升屋二三治(みますやにそうじ)作詞,5世岸沢式佐作曲,8世市川団十郎の山姥,4世坂東彦三郎の山樵,市川小団次の怪童丸により,1848年(嘉永1)江戸河原崎座初演。ほかに富本《母育雪間鶯》(三津五郎山姥),清元《月花茲友鳥(つきとはなここにともどり)》(山姥)などがある。
執筆者:権藤 芳一
山の奥にすむという老女の妖怪。〈やまんば〉とも読む。若い女と考える所もある。山姥のほか山女(やまおんな),山姫(やまひめ),山女郎(やまじよろう),山母(やまはは),鬼婆(おにばば)などともいう。地方によって多少の違いはあるものの,背が高く,長い髪をもち,肌の色は透き通るほどに白く,眼光鋭く,口は耳まで裂けている,というのがほぼ共通した特徴である。また,人間の子どもを食べることを好み,山中で出会った者は,病気などの災厄を受けるとされる。日本の妖怪の多くがそうであるように,山姥に対する人々のイメージは両義的,二面的であって,人を食う恐ろしい存在だと考える一方,福をもたらしてくれることもあると考えている。
例えば,四国の山間部では,ある山姥に気に入られて長者になったという家が存在している。昔話にもこうした二面性が現れていて,〈食わず女房〉〈牛方山姥〉〈三人兄弟〉などでは恐ろしい側面が描かれ,〈姥皮(うばかわ)〉〈糠福米福(ぬかふくこめふく)〉などでは,呪宝などを与えて援助してくれる善なる側面が示されている。また,〈山姥の糸車〉の昔話に見えるように,妖怪化した動物が山姥に化けていることもある。地域的な伝承であるが,暮れの市に山姥が現れる,山の中で機織しているとか,山中で子を育てている山姥の呪宝は取っても尽きぬ麻糸の玉(これを〈山姥のおつくね〉という)といったものもある。こうしたイメージがどうして形成されたかについては,いろいろと説かれているが,山間で生活する人たちへの里人の畏怖心や,山の神に仕える巫女(みこ)や遊行する巫女についての印象,来訪神(らいほうしん)信仰の変形,山の神(女性とするところが多い)との影響関係などをあわせて考えなければならない。
執筆者:小松 和彦 世阿弥伝書の《申楽(さるがく)談儀》(1430)などに曲名のみえる能《山姥》に登場する山姥は,必ずしも恐ろしい存在ではない。鬼女といいながら邪正一如の仏説を説き,余所(よそ)ながら〈人を助くる業〉をなしているという。そして,〈妄執の雲の塵積もって山姥〉となり,輪廻(りんね)の苦界に沈んだ身の救済を願いつつ,山姥の〈山めぐり〉をみせるのである。近松門左衛門の《嫗山姥(こもちやまんば)》(1712初演)四段目に〈山めぐり〉が取り入れられ,〈山姥物〉と呼ばれる歌舞伎所作事の源流となった。《嫗山姥》では,源頼光が山姥の庵に泊まるが,山姥とは実は遊女八重桐のなれの果てで,その子が坂田金時であったという筋立てに脚色された。また,御伽草子《花世の姫》では山姥の姿を〈顔は折敷(おしき)の如く,目は凹(くぼ)く,玉は抜け出でて,口は広く,牙は鼻の傍まで生ひ交ひ,鼻は鳥の嘴の様にて,先ばかり,額に皺を畳み上げ,頭は鉢を戴きたる〉ようで,〈頭の毛は赤き赤熊(しやぐま)の如くにて,その間に角の如くなる瘤ども十四五程あり〉と形容している。また1609年(慶長14)京都で山姥の見世物が評判になったという記録もある。《当代記》に,〈山うは也とて,東山東福寺辺にて,鼠戸を結,人にみせける,縦は頭之毛は白く,眼之廻赤し,何物を食すれとも一口に喰,貴賤見之,能々聞,しろ子の物狂也〉とある。偽物ではあったが,貴賤を問わず山姥の見せ物に集まったというところに,その実在を信じていたであろう当時の人々の姿を見ることができる。なお,能をはじめとする日本の芸能,音楽の山姥が登場する作品については,《山姥(やまんば)》の項目を参照されたい。
執筆者:西脇 哲夫
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山中に住む妖怪(ようかい)。女の姿で出現すると信じられ、昔話や伝説に里人との交流を語られる。山婆(やまんば)、山母、山女郎、山姫などの呼称をもつ。昔話「山姥の糸車」には白髪の老婆、「牛方(うしかた)山姥」「三枚の護符」には口が耳まで裂けた眼光鋭い、人食いの化け物として造形されている。一方、山中の石に6人または12人の子を産み、乳を与える、柔和で豊かな母性を有する姿も伝えられる。箱根山で金太郎を扶育する山姥や、応神(おうじん)天皇の山中出誕を介助する山姥などは、幼い者を加護して祝福を与える顕著な例である。山姥はときに里に降りて、年の市(いち)などに現れ、心清い者に思いがけない富貴を授けるともいわれる。昔話「糠福米福(ぬかぶくこめぶく)」「姥皮(うばかわ)」では主人公に幸運をもたらす。山姥の伝承は、このように荒ぶる怪奇なものと、至福扶与の両面を持ち合わせる。炭焼き、木こり、木地(きじ)師、漆かきなどは、不意に山小屋を訪れて酒を飲み、焼き餅(もち)を食い、火にあたる山姥の存在を伝承している。山姥は藤(ふじ)の皮で草履(ぞうり)を編んだり、糸を操って機織(はたお)りをする。また布を滝や流れに晒(さら)し、洗濯をして岩に干す。壱岐(いき)では、師走(しわす)の20日を山姥の洗濯日とし、その日に水を使うことを忌む。同時にこの日はまた山の神の洗濯日ともよばれる。これは、かつて山の神の祭祀(さいし)に奉仕した女性と、その斎場での行為にかかわるものとされる。また山の神そのものが女性神とされる信仰とも無関係ではない。現実的には、里人の暮らしと異なる山中生活者の存在も見落とせないものである。
[野村純一]
能の曲目。五番目物。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)の作品とされる。『申楽談儀(さるがくだんぎ)』には、世阿弥が将軍の前で舞ったことが記されている。山姥の山巡りの曲舞(くせまい)を得意とする遊女、百(ひゃく)ま山姥(ツレ)は、供の男たち(ワキ、ワキツレ)と善光寺詣(もう)での途中、上路(あげろ)の山中でにわかに日の暮れる不思議に出会う。宿を貸そうと現れた山の女(前シテ)は、山姥の謡(うたい)を所望し、自分が真の山姥と告げ、夕月のころに再会を約して消える(中入)。道案内の里人(間(あい)狂言)は、ワキの問いに答え、さまざまな山姥に関する珍説を語る。やがて山姥(後シテ)は恐ろしげな姿で登場し、深山幽谷のさまを描写し、正邪一如、善悪不二の哲理を説き、山姥の曲舞を舞い、山巡りのありさまをみせつつ消えうせる。この能は、山の鬼女の姿に託して、人間の輪廻(りんね)の苦とともに、四季の移り変わりと自然、あるいは宇宙そのものを象徴しようとする。能だけが可能とした表現の世界である。山姥という専用面を用いる。
[増田正造]
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…この2書を総合すると,母の老嫗と足柄山中で生活していたのを,21歳のときに頼光に見いだされ,坂田公時と名付けられ,頼光に仕えて36歳のときに主馬佑として酒呑童子退治に参加し,一生妻女をもたず,頼光没後,行方をくらまし足柄山で足跡を絶ったという。その出生については《前太平記》に〈妾(われ)かつて此の山中に住む事,幾年といふ事を知らず,一日此の嶺に出て寝たりしに,夢中に赤竜来たりて妾に通ず,其の時雷鳴おびただしくして驚き覚めぬ,果して此の子を孕めり〉とあって,山姥説話と結びつけられている。山姥は山神に仕える女性と考えられるが,怪力を持つ英雄は神童でなければならず,金時が雷神と山姥の子とされたのであろう。…
…ほかに阿形では天神,黒髭(くろひげ),顰(しかみ),獅子口など,吽形では熊坂(くまさか)がある。能面の鬼類では女性に属する蛇や般若,橋姫,山姥(やまんば)などのあることが特筆される。(3)は年齢や霊的な表現の濃淡で区別される。…
…若い女と考える所もある。山姥のほか山女(やまおんな),山姫(やまひめ),山女郎(やまじよろう),山母(やまはは),鬼婆(おにばば)などともいう。地方によって多少の違いはあるものの,背が高く,長い髪をもち,肌の色は透き通るほどに白く,眼光鋭く,口は耳まで裂けている,というのがほぼ共通した特徴である。…
…かつて毎月の定期市のうち,その年最後の市を正月用品販売にあてる場合が多かったので,暮市,節季市,ツメ市などともいわれる。年の市には神秘的な意味が認められていたらしく,青森県三戸地方のツメマチには親に似た人が出るという伝承があり,長野県北安曇郡や上水内郡の暮市には山姥(やまうば)が現れるといわれていた。年の市は,商店の発達した現在でも,年末になると毎年一定の日に,人家の密集した地の社寺の境内や路傍など決まった場所に設けられることが多く,周辺の集落の人々にとってこの日の買物は一種の年中行事化したものとなっている。…
…日本の芸能,音楽の曲名。山姥(やまうば)伝説が能をはじめとして邦楽,歌舞伎にとり入れられ,歌舞伎舞踊では題名はさまざまであるが,山姥物という分類で総括される。(1)能。…
…生来の美音家であるのに加えて時代の好みに乗り,庶民に歓迎された。初演した語り物に《保名(やすな)》《累(かさね)》《山姥(やまんば)》など。(2)2世(1802‐55∥享和2‐安政2) 初世の子の岡村藤兵衛。…
※「山姥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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