谷尻村(読み)たんじりむら

日本歴史地名大系 「谷尻村」の解説

谷尻村
たんじりむら

[現在地名]東吉野村大字谷尻

高見たかみ川の支流谷尻川の谷間にできた村。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)によると、谷尻は戦国期には芳野ほうの(現宇陀郡菟田野町)の在地武士で興福寺被官である芳野氏の支配勢力が及んでいたと考えられ、興福寺大乗院領になっていたと推測される。下司は宝成院。家数は約八〇、この地域では木津こつに次ぐ。また、中世には宇陀郡内であった。


谷尻村
たにしりむら

[現在地名]岡山市谷尻

築地山ついじさん村の西、うえノ山(一二〇メートル)南麓集落があり、東辺をすな川が南流する。文禄四年(一五九五)の常楽寺寺領帳(常楽寺文書)草部くさかべ(草壁)郷内として「谷尻ひゑた」「谷尻ノ東」などがみえる。寛永備前国絵図に村名がみえ、高一七六石余。「備前記」によると山寄りの集落で、「備陽記」では田畠一四町九反余、家数四四・人数二二五、池二。


谷尻村
たんじりむら

[現在地名]荻町馬場ばば

天文二〇年(一五五一)頃の直入郷葎原土貢帳写(豊州雑誌所収豊後文章)に「谷尻」がみえる。正保郷帳では葎原むぐらばる郷に属し、田方なし、畑方九一石余。貞享二年(一六八五)には葎原組に属し、村位は下、高一七四石(農民一揆)。弘化物成帳では葎原組のうち、村位は下、免四ツ二分、田はなく、畑一七二石余(三七町四反余)・屋敷二石余(二反余)で、開田はなく、開畑三石余(六町六反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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