精選版 日本国語大辞典 「谷木因」の意味・読み・例文・類語 たに‐ぼくいん【谷木因】 江戸初期の俳人。美濃国の人。別号木端・白桜下など。家は代々大垣の船問屋。はじめ季吟に学び貞門、のち談林を経て、蕉門に帰し、大垣蕉門の中心となって活躍した。著「桜下文集」「おきなぐさ」など。正保三~享保一〇年(一六四六‐一七二五) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「谷木因」の解説 谷木因 没年:享保10.9.30(1725.11.4) 生年:正保3(1646) 江戸前期の俳人。美濃国(岐阜県)大垣の人。船問屋を業とする富裕な商人であった。俳諧は北村季吟の門人であるが松尾芭蕉とは早くから親交を結び,現存の芭蕉の書簡の中では,延宝9(1681)年の木因宛のものが最も古く,ふたりが心を許し合った友人関係にあったことは当時の書簡からうかがえる。貞享1(1684)年には旅中の芭蕉を自宅に迎え,桑名まで芭蕉に同道した。ただし,芭蕉が交わろうとしなかった井原西鶴やその弟子北条団水とも交わり,菅野谷高政,大淀三千風を迎えるなど,交際の範囲は蕉門に限らなかった。<著作>森川昭編『谷木因全集』 (田中善信) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷木因」の解説 谷木因 たに-ぼくいん 1646-1725 江戸時代前期-中期の俳人。正保(しょうほ)3年生まれ。家は美濃(みの)(岐阜県)大垣の船問屋。北村季吟(きぎん)の門から談林風にうつり,松尾芭蕉(ばしょう)の感化をうけて後年蕉門にはいった。享保(きょうほう)10年9月30日死去。80歳。通称は九太夫。別号に白桜下,観水軒。著作に「桜下文集」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by