デジタル大辞泉 「谷繁元信」の意味・読み・例文・類語 たにしげ‐もとのぶ【谷繁元信】 [1970~ ]プロ野球選手。広島の生まれ。平成元年(1988)横浜大洋ホエールズ(横浜DeNAベイスターズの前身)に入団。リーグを代表する捕手として活躍し、平成10年(1998)にはチームの日本一に貢献した。後年は中日ドラゴンズに移籍し、選手兼任監督を経て専任監督に就任した。通算3021試合出場は歴代最多。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷繁元信」の解説 谷繁元信 たにしげ-もとのぶ 1970- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手。昭和45年12月21日生まれ。捕手。右投げ右打ち。昭和63年ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(のちの横浜ベイスターズ,横浜DeNAベイスターズ)に入団。平成元年の広島東洋カープ戦で初打席初安打。強肩をほこり,8年には正捕手の座をかちとり,打率3割を記録。10年ベストナイン,ゴールデングラブ賞を獲得してベイスターズの日本一に貢献。13年中日ドラゴンズに移籍。ゴールデングラブ賞6回。25年2000本安打を達成。同年監督兼任が決まる。27年7月野村克也のもつ通算出場試合数3017試合をぬいてプロ野球歴代1位を達成。同年現役引退。広島県出身。江の川高(現・石見智翠館高)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
知恵蔵mini 「谷繁元信」の解説 谷繁元信 中日ドラゴンズのプロ野球選手(捕手)。1970年12月21日、広島県比婆郡東城町(現・庄原市)生まれ。高校通算で42本の本塁打を放つなど強打の捕手として名を広め、88年、横浜大洋ホエールズに入団。96年より重用されるようになり、同年、初の打率三割を達成。98年、自身初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。2001年、中日ドラゴンズへ移籍。06年7月26日、捕手としては史上4人目の通算2000試合出場を達成。10年7月28日、捕手としては野村克也以来の2500試合出場を達成した。重なる故障に苦しみつつも、12年7月26日、通算3000塁打を達成。13年5月6日、史上44人目、捕手としては3人目の通算2000安打を達成した。 (2013-5-8) 出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報