谷部郷
はせべごう
「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本・東急本・元和古活字本では谷部として波世倍の訓を付す。名博本には長谷部の三字表記で、ハセへと訓じている。古代氏族の丈部氏に由来するか。現市原市惣社の荒久遺跡から出土の土師器坏墨書銘にみえる「□谷
郷西里」は当郷と考えられる。郷里制が施行されていた霊亀元年(七一五)より天平一二年(七四〇)頃までの間に書かれたことが知られ、また当郷は長谷部と表記していた可能性が高い。
谷部郷
はせべごう
「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓はない。「三河国古蹟考」では、岡崎市に属する矢作の旧本郷村は旧名長谷部であり、本郷明神も長谷部の森にあることから、この地に比定している。「碧海郡誌」も岡崎市西本郷の瀬部神社を谷部宮と称したと指摘している。「日本地理志料」は「東西本郷・北本郷・矢作・中園・暮戸・大友・別所・筒針・山崎・牧内」とし、安城市北部に範囲を広げている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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