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郷里制 きょうりせい Xiang-li-zhi; Hsiang-li-chih

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

郷里制
きょうりせい
Xiang-li-zhi; Hsiang-li-chih

中国古代の地方行政の末端区画。本来,郷とは国都における庶民の居住地をいい,里とは邑中の民の居住地,または自然村を意味したらしい。秦・漢時代には県の下に郷,亭,里という行政区画が定められたが,それは 10里=1亭,10亭=1郷と記されたり,あるいは 10里=1郷と記されたりしている。

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郷里制
ごうりせい

「郷里制 郷 里[日本]」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

ごうり‐せい〔ガウリ‐〕【郷里制】

律令制下の地方行政組織大化の改新で国・郡・里を設け、50戸を1里として里長一人を置いたが、霊亀元年(715)里を郷とし、郷をさらに細分して2、3の里を設けて郷長・里正を置き、国・郡・郷・里の四段階にした。天平12年(740)里を廃止、郷制となった。→国郡里制

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百科事典マイペディアの解説

郷里制【ごうりせい】

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世界大百科事典 第2版の解説

きょうりせい【郷里制 Xiāng lǐ zhì】

中国,漢代から唐代にいたる時代に行われた地方末端の行政単位。漢代では地方を郡県に分けたが,その県の下には古来からの邑の伝統をもつ多くの自然集落が包含された。集落はいずれも城郭で囲まれ,その一つ一つが亭であり,10亭ちかく集まると,その最大のものが郷=都亭となり,他の亭を従えた。そしていくつかの郷が集まると,その最大のものが県=都郷となり,他の郷を従えた。郷には三老・嗇夫(しよくふ)・游徼(ゆうきよう)がいて,三老は祭祀や自治的諸慣習の指導者であり,嗇夫が裁判と徴税を,游徼が警察事務をつかさどり,亭には亭長がおかれた。

ごうりせい【郷里制】

律令制における地方統治制度。京師以外の地方諸国を国・郡(大宝律令以前は評)・里の行政組織をもって統治し,1里を50戸で構成する制度は,遅くとも浄御原令施行のころにはすでに実施されていたが,715年(霊亀1)の式により,従来の里を郷と改め,その郷の下部単位として新しく1郷に2~3の里を設け,郷には郷長,里には里正を任ずることとした。これを郷里制とよぶ。里を構成する戸数には1郷=50戸のごとき定数はなく,里は房戸(ぼうこ)を基礎単位とした(郷戸・房戸)。

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大辞林 第三版の解説

ごうりせい【郷里制】

律令制で、715年から740年頃まで行われた地方行政制度。国郡里制における五〇戸一里の里を郷と改め、その下に二~三の里を置いたもの。740年頃里は廃止され、郷制に移行。郷里。 → 国郡里制

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

郷里制
ごうりせい

8世紀前半の地方行政区画。大宝律令(たいほうりつりょう)によって定められた国郡里制を、唐の州県郷里制に倣って国郡郷里制としたもの。『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に「依霊亀元年式。改里為郷」とあり、715年(霊亀1)に里(1里=50戸)を郷とし、郷を新たに2、3の里に分割し、郷長、里正(りせい)を置いた。郷里制施行は、郷戸(ごうこ)の房戸(ぼうこ)への分割と関連し、郷戸は郷の、房戸は里の構成単位ともされる。
 郷里制のねらいは、行政単位の単なる細分化か、あるいは、自然村落を郷里制の里として編成しようとしたものかなどは別として、農民把握の強化にあったことは明らかである。郷里制も、739~740年(天平11~12)には廃止され、国郡郷制となった。[大町 健]

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世界大百科事典内の郷里制の言及

【隋】より

…ついで改革の対象を地方行政の場に求め,長い分裂期のなかで肥大複雑化して中央集権をはばんでいた州郡県制に鋭いメスを入れ,郡を廃止して州県制へ機構を簡素化することを皮切りに,地方官に対する辟召(へきしよう)制(現地任用制)を廃止して中央任命制の採用,地方官の在職年限や服務に関する厳格な規定の制定などを一挙に実現させた。こうしたうえで,末端の民衆社会の掌握に力を注ぎ,貌閲策(首実検)などによる戸籍調査,北魏以来続いた三長制を改めた郷里制(きようりせい)(500戸の郷,100戸の里の組織)による郷村再編成を強行し,他方,飢饉に対する相互扶助の機関としての義倉(社倉)を設置した。この結果,隋代は戸口の把握が進み,およそ戸数900万,口数4600万という,唐の盛時をもしのぐほどに至ったのである。…

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