(浅野秀剛)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…このように,幕末の歌川派は,実力と人気において役者絵,美人画,武者絵,風景画と浮世絵界の代表的な分野を独占し,黄金時代を築いた。明治に入っても豊原国周(1835‐1900),月岡芳年がおり,芳年門下から水野年方(1866‐1908),鏑木(かぶらぎ)清方らが出るなど,その流れは現代まで続いている。【松木 寛】。…
…写実を基礎におきながらも美化された役者姿絵は,彫摺技術の粋をこらした艶麗な版画表現にも助けられて,広く歌舞伎愛好家一般の歓迎するところであったが,幕末に下るにつれて量的な繁栄に反比例して質的な内容を衰弱させていった。わずかに国貞の弟子の豊原国周(くにちか)(1835‐1900)が,大錦三枚続きの大画面に一人の役者の半身像を描くという意表をついた新形式を開拓,明治劇壇の活況を伝えて最後の光芒を放った。 また京坂においても,江戸の浮世絵の木版技法を学んだ上方役者絵が天明(1781‐89)のころから興り,流光斎如圭,松好斎半兵衛,春好斎北洲,青陽斎蘆国らが活躍して,幕末まで活況を呈した。…
※「豊原国周」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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