豊地城跡(読み)といちじようあと

日本歴史地名大系 「豊地城跡」の解説

豊地城跡
といちじようあと

[現在地名]小野市中谷町 城ノ土井

東条とうじよう谷の中東条(現東条町)と下東条を占めた中世吉田新よしだしん庄の中心に位置し、東条川に面していた。文献には東条城の名で出てくる。建武三年(一三三六)北朝方が南朝方の拠点となっていた東条城を焼払っている(同年九月八日「岸田隆覚軍忠状」辻文書)嘉吉の乱後、東播磨三郡は室町幕府料所となって赤松満政が代官となるが、嘉吉四年(一四四四)に東播磨三郡は山名氏の支配下となる。応仁の乱に乗じて赤松氏は播磨を回復し、東条には依藤氏が入った(文明九年正月二三日「依藤則忠判物」清水寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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