豊島町
としままち
[現在地名]秋田市大町五丁目の一部
茶町梅ノ丁筋の南、羽州街道に沿う。戸島町とも書く。町名の由来は不明であるが、天正年間(一五七三―九二)に滅んだ河辺郡豊島館(現河辺郡河辺町)の城主豊島氏の旧臣で、佐竹義宣に仕えた者があるという(秋田風土記)。「梅津政景日記」元和四年(一六一八)六月二九日条にその名がみえ、慶長年間(一五九六―一六一五)の町割らしい。
文政五年(一八二二)の御町方御用留書(県立秋田図書館蔵)の二月二三日によれば、豊島町は従来料理屋家業が多かったのに、「近来ニ至リ余町ニ料理屋多出候ニ付自然衰微致、当時漸
弐軒ならて無之候所、外著敷家督と申茂無之、且此度無残類焼致」として難渋の結果、料理屋家督を願い出たようである。
豊島町
てしまちよう
[現在地名]西区西本町二丁目
太郎助橋筋を境に箱屋町の西に続く両側町で、西は釘屋町。もとは戎町とも四郎兵衛町とも称したというが(初発言上候帳面写)、明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図では当町の位置に箱屋町、箱屋町の位置に戎町、釘屋町に四郎兵衛町と記される。元禄年間(一六八八―一七〇四)の大坂三郷町絵図以降、東から箱屋町・豊島町・釘屋町と並ぶ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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