日本歴史地名大系 「戎町」の解説 戎町えびすまち 兵庫県:明石市明石城下戎町[現在地名]明石市材木町(ざいもくちよう)・港町(みなとちよう)当津(とうづ)湊の西岸、坊主(ぼうず)橋に続く道筋の町で、東は親町にあたる船(ふな)町に、南は材木町の岩屋(いわや)神社に、西は長林(ちようりん)寺に接する。元和四年(一六一八)の築城とともに成立した明石惣町一〇町のうちに町名はみえないが、城下町の発展するなか享保二年(一七一七)船町から分離独立。それ以前は同町の小名で、古くは夷町と表記した(明石名勝古事談)。波門崎(はとさき)のそばの浜辺に位置し、古くから漁師町として発展。 戎町えびすちよう 兵庫県:伊丹市伊丹郷町戎町[現在地名]伊丹市宮(みや)ノ前(まえ)一丁目伊丹町を構成する二七ヵ町の一つ。宮崎(みやざき)町の南西に位置し、享保年間(一七一六―三六)成立(文禄伊丹之絵図)。「有岡古続語」は同一七年に二七ヵ町になったとするが、同一五年の大工仲間定書(宮本家文書)に恵美須町とみえる。会所入用割の間数は一九三間(「正心調法記」武田家文書)。 戎町えびすまち 兵庫県:高砂市高砂町戎町[現在地名]高砂市高砂町戎町高砂町方二八町の一つで、町場の最南端に位置し、海沿いに東西に連なる漁師の集住する町。高砂町成立期に漁翁とよばれた阿美仁平・総太夫・又太夫らが摂津西宮戎社を勧請して戎社を建立し、漁業の守護神にしたと伝える(高砂雑志)。元禄期(一六八八―一七〇四)の高砂町図(船津家蔵)に町名がみえる。安永二年(一七七三)の棟数一四二・竈数一七〇・店借三八、人数六九二、うち田地持二(「高砂町方明細帳写」船津家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by