豊松山城跡(読み)とよまつさんじようあと

日本歴史地名大系 「豊松山城跡」の解説

豊松山城跡
とよまつさんじようあと

[現在地名]豊松村下豊松

米見よなみ山東麓の丘陵上にあり、四日市よつかいち集落を見下ろす要衝の地を占める。土居形式の居館で、「西備名区」は内藤左馬進以下八人の名を城主として伝える。いずれも永禄―天正(一五五八―九二)頃の人で、上豊松新庄山かみとよまつしんじようやま城を本拠とする内藤氏の一族である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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