豊永城跡(読み)とよながじようあと

日本歴史地名大系 「豊永城跡」の解説

豊永城跡
とよながじようあと

[現在地名]大豊町東土居

東土居ひがしどい集落の西にそびえる豊永山(四九六メートル)の、北東から南西に延びる稜線の南西端にある。北西・西・南西側は急崖で、南小川みなみこがわが南と西を湾流し、北西側を吉野川が流れ、天険の地となっている。南北朝時代の城跡といわれ、下土居しものどい城跡とも、粟井あわいの城跡とも称される。高さ約二メートルの土塁がほぼ残り、土塁の下は深さ四メートルの空堀となっており、約四〇メートルにわたり原形をとどめる。遺構から、城へは東麓の粟生あおうから登ったものとみられる。

戦国時代に豊永地方を支配した小笠原(豊永)氏の城といわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android