新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊沢 団平(2代目)」の解説
豊沢 団平(2代目)
トヨザワ ダンペイ
- 職業
- 義太夫節三味線方
- 本名
- 加古 仁兵衛
- 別名
- 初名=豊沢 力松,前名=豊沢 丑之助,号=里焼,通称=清水町の師匠
- 生年月日
- 文政11年
- 出生地
- 播磨国加古川(兵庫県)
- 経歴
- 2代目竹本千賀太夫の養子。天保10年3代目豊沢広助に入門、豊沢力松を名乗って初舞台。13年丑之助を経て、弘化元年2代目団平を襲名。安政元年3代目竹本長太夫の相三味線に抜擢され、その没後は6代目染太夫、5代目春太夫などの三味線をつとめる。明治5年から文楽座の立三味線として活躍、2代目竹本越太夫らを育て上げ、史上初の三味線紋下となる。17年から彦六座に移り、3代目竹本大隅太夫を育てた。明治を代表する三味線の名人であるだけでなく、作品の解釈・故実の伝承・廃曲の復曲・新作の作曲など、義太夫節の改良に大きく貢献した。作曲作品に「壷坂霊験記」「良弁杉由来」(妻・千賀女の補筆)などがある。
- 没年月日
- 明治31年 4月1日 (1898年)
- 家族
- 妻=加古 千賀(浄瑠璃作者)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報