豊田天功(読み)とよだてんこう

改訂新版 世界大百科事典 「豊田天功」の意味・わかりやすい解説

豊田天功 (とよだてんこう)
生没年:1805-64(文化2-元治1)

江戸後期の水戸藩学者常陸国久慈郡坂之上村(現常陸太田市,旧里美村)の庄屋豊田信卿の子。諱(いみな)は亮(たすく)。彦次郎と称し,松岡と号する。天功は字。藤田幽谷門人。1820年(文政3)史館彰考館見習。一時郷里に帰ったが41年(天保12)再び彰考館に入り,《大日本史編纂に従事して顕著な功績を残した。56年(安政3)から彰考館総裁。またペリー来航後《防海新策》《北島志》を執筆,海防の重要性を説いた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊田天功」の解説

豊田天功 とよだ-てんこう

1805-1864 江戸時代後期の儒者
文化2年生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。藤田幽谷(ゆうこく)らにまなぶ。彰考館で「大日本史」編修にあたり,安政3年総裁。ペリー来航後「防海新策」などをあらわし,欧米諸国の脅威と海防の重要性を説いた。文久4年1月21日死去。60歳。名は亮。通称は彦次郎。号は松岡,晩翠。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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