豊田御厨(読み)とよだのみくりや

日本歴史地名大系 「豊田御厨」の解説

豊田御厨
とよだのみくりや

建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)には「豊田御厨給主藤原氏子、(御脱)厨子細同前、供祭物 御贄二石五斗」とあり、「神鳳鈔」に「内宮豊田御厨五十丁、上分一石五斗、六九十二月、雑料七石五斗」とみえるが、それ以後は豊田御厨の名は史料に現れず、南北朝期に安野田あのだ御厨と合併したと推定されている(亀山地方郷土史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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