豊間根村
とよまねむら
津軽石川の上流にあって、南は上山田村・下山田村。浜街道が通る。元和七年(一六二一)九月晦日の南部利直請取状(盛岡浜田文書)によれば豊間根・荒川・石峠の元和三年分の物成売上金は七六匁六分五厘で、米一〇九駄二斗一升六合、ただし一駄につき七分であり、このうち豊間根分は六二駄二斗三升であった。江戸時代初期には隣村の荒川村・石峠村とともに南閉伊代官の支配に属したが、寛文(一六六一―七三)の頃盛岡藩が通制を実施するにあたって、閉伊川筋江繋村・泉沢村・小国村(現川井村)の三ヵ村が伝馬御免の願いを出したため編成替えが行われ、宮古通に編入された(川井村郷土誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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