日本歴史地名大系 「貝屋町」の解説 貝屋町かいやちよう 京都市:中京区日彰学区貝屋町中京区高倉通蛸薬師下ル南北に通る高倉(たかくら)通(旧高倉小路)を挟む両側町。平安京の条坊では左京四条四坊二保三町東及び同六町西。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「かいや丁」とあり、以後変化はない。「貝屋」と表記するのも、元禄期(一六八八―一七〇四)には固定しつつある。当町西側にある祠堂は源頼政の祠といい、付近に源頼政邸があったというが不明。明治維新前、この堂地を品川弥二郎が買取り尊攘堂を建てて志士と会し、明治維新後は志士の遺品を収集したが、後に京都大学に移し、土地は京都組合銀行に譲ってここに銀行徒弟学校が設立された(坊目誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by