賀村(読み)かむら

日本歴史地名大系 「賀村」の解説

賀村
かむら

[現在地名]神栖町

外浪逆そとなさか浦の東岸に位置し、東は筒井つつい村、南は息栖いきす村。建武元年(一三三四)一二月日の大禰宜中臣高親社領并神祭物等注進状案(塙不二丸氏所蔵文書)に「用重名田畠等(中略)詔宮畠三段余 詔宮賀村屋敷二段余 宮本地頭押領之」とみえ、当村は用重名に含まれ、大禰宜家の所領であったが、地頭が押領していたため訴訟になった。また応安(一三六八―七五)の海夫注文(香取文書)に「かむらの津鹿島知行分」とあり、鹿島氏が津を統轄していた。


賀村
かむら

[現在地名]湖北町賀

小今こいま村の北、高時たかとき川左岸に位置。香村・加村とも記した。天正一三年(一五八五)閏八月二一日、羽柴秀吉山内一豊に当村二五石を宛行っている(山内文書)。寛永一〇年(一六三三)と推定される五月二三日および六月一九日の幕府勘定奉行組頭杉田九郎兵衛(直昌)書状(中村木能斎採集文書)によれば、同年以前、当村は幕府領であったが、同年一五九石余が彦根藩領となっている。寛永石高帳では高五七七石余で、うち幕府領四一八石余、彦根藩領一五九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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