日本歴史地名大系 「賀祥村」の解説 賀祥村かしようむら 鳥取県:西伯郡西伯町賀祥村[現在地名]西伯町下中谷(しもなかたに)能竹(のうぢく)村の南、法勝寺(ほつしようじ)川上流左岸の狭小な谷間に位置する。法勝寺往来に沿い、村の上手には北方の法勝寺村から一里(米子から四里)にあたる一里塚があった。加正・加祥とも記した。東は江原(えばら)村、南は信頼(のぶより)村。沙門玄賓が弘仁(八一〇―八二四)末に会見(あいみ)郡内に建立した阿弥陀寺(「三代実録」貞観七年八月二四日条)の所在を当地に比定する説もある(西伯町誌)。地内阿弥陀堂上(あみだどうかみ)の林中にある五輪塔を玄賓の墓とする伝承も残るが、「伯耆志」は同塔を当地の秦氏の祖先の墓塔であろうとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by