…810年(弘仁1)には斎院をおき,嵯峨天皇皇女有智子内親王を斎王として祭りに奉仕させるようになって朝廷祭祀としての形をととのえ,伊勢神宮につぐ尊崇をうけた。後鳥羽上皇のとき,神主賀茂能久が承久の乱に上皇方について参戦し,斎院もこのとき廃絶した。社領としては大化のころ封戸14戸,神田1町8反が寄せられたと伝えられるが,785年(延暦4)には愛宕郡内の封戸10戸が,865年(貞観7)には山城国の神田5反が,940年(天慶3)には封戸10戸が寄せられた。…
※「賀茂能久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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