日本歴史地名大系 「赤児村」の解説 赤児村あかつごむら 宮城県:栗原郡金成町赤児村[現在地名]金成町賢児(かしこ)片馬合(かたませ)村の南西に位置し、村中央を金流(きんりゆう)川が東流する。南東は藤渡戸(ふじわたど)村、西は普賢堂(ふげんどう)村と接する。上(かみ)街道が南の畑(はた)村より村を縦断し一関(いちのせき)(現岩手県一関市)に至る。村名は、藤原秀衡が当村に歌舞を命じたところ、春風という子供が容貌・芸ともにすぐれているので、賞愛したが、ほかの舞子はこれをねたみ殺害したという。人々はこれを哀れみ塚を造り、この子が紅を好んでいたので村名にしたと伝える。正保郷帳に田四四貫六一四文・畑三貫九〇八文とあり、ほかに新田一貫三二六文。「安永風土記」によれば、田五〇貫三一七文・畑五貫四八一文で、蔵入四七貫四五八文のほかは給所。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by