日本歴史地名大系 「赤埴城跡」の解説 赤埴城跡あかばねじようあと 奈良県:宇陀郡榛原町上赤埴村・下赤埴村赤埴城跡[現在地名]宇陀郡榛原町大字赤埴赤埴山(八一〇メートル)山上に東西三〇〇メートル、南北一五〇メートルの長方形の郭跡があり、北隅に天守閣跡と伝える所がある。また四周に土塁跡・石垣跡などの残欠をとどめ、郭内に溜池があり、また本城の西南に大池がある。「国民郷士記」に「赤埴山城 赤埴五左衛門」とあり、赤埴家図(宇陀郡史料)によると赤埴安頼は後醍醐天皇に仕え、その子安朝は赤埴山に城塁を構築、その後、赤埴信安は北畠氏の没落後筒井氏に属していたが、天正一三年(一五八五)筒井氏伊賀転封後豊臣秀長が郡山(こおりやま)城(現大和郡山市)城主となるや赤埴安忠は城館を破却された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by