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赤埴源蔵 あかはに げんぞう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

赤埴源蔵 あかはに-げんぞう

1669-1703 江戸時代前期の武士。
寛文9年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩士。四十七士ひとり。馬廻(うままわり)。元禄(げんろく)15年吉良義央(きら-よしなか)邸への討ち入りで裏門から突入(赤穂事件)。小説,講談などでは姓を赤垣とし,「赤垣源蔵徳利(とくり)の別れ」で知られる。元禄16年2月4日切腹。35歳。名は重賢。変名は高畑源野右衛門。姓は「あかばね」ともよむ。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

赤埴源蔵

没年:元禄16.2.4(1703.3.20)
生年:寛文9(1669)
江戸前期の武士。赤穂四十七士のひとり。名は重賢。巷説では姓を赤垣とする。竜野藩士塩山伊左衛門の弟で,赤穂藩士赤埴氏の養子となり,浅野長矩に仕えて馬廻り役,200石を与えられた。長矩の刃傷事件で主家断絶後,高畑源之右衛門などと名を変えて江戸浜松町に住み,,深酒に仇討の志を隠して吉良邸を探索した。元禄15(1702)年吉良邸討ち入りの直前,兄の家を訪ねたが,不在のため,兄の羽織を壁に掛けて酒を供え,別れを惜しんだ。これが芝居や講談で名高い「徳利の別れ」であるが,実際の源蔵は酒を嗜まず,訪ねたのは妹婿の宇都宮藩士田村縫右衛門の家であったともいう。討ち入り後,細川越中守邸に預けられ,同志ともども切腹した。

(宇田敏彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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