赤尾口留番所跡
あかおくちとめばんしよあと
[現在地名]上平村西赤尾
五箇山道(飛州小白川村間道・西赤尾道)で飛騨国へ往来する商人や通過する荷物の取締に当たった番所。国境を越えた飛騨国小白川村(現岐阜県白川村)には江戸時代初めの金森藩領の頃から口留番所が置かれており、それに応じて越中側にも設けられたもので、加賀藩御郡奉行所の支配下にあった。天和三年(一六八三)からは赤尾口と大勘場口(現利賀村)両所では運上銀五〇〇目を納めて村の百姓が番人を勤めるようになったが、同二年までは毎年入札により高札の者に決まっていた(延享元年「赤尾口大勘場口番所御運上銀取立帳」川合家文書)。柵は西赤尾町村南端肝煎吉兵衛家の腰にあって、往来個所は六尺ばかり開けてあるが戸はなく、出入りの荷物相改口役銀を取立てた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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