赤尾口(読み)あかおぐち

日本歴史地名大系 「赤尾口」の解説

赤尾口
あかおぐち

京町台地の西突端地域は宇土小路に並行する通りで区画される。この小路は北端は台地の崖縁まで、南は中央東西道までで、それより以南低地となるため崖下まで急坂の小路地をつけて屋敷が並ぶ。この南北に走る通りを明治期以降赤尾口と称した(現熊本営林局東側道路)。寛文頃には赤尾口の南端、東西通りの下り坂に地子屋敷一と釈正しやくしよう寺が並ぶ。赤尾口の東側沿いに四屋敷(うち下屋敷二)が並び、次いで京町台の北端を走る東西道と交差した北の部分に三屋敷、その奥の東に入る袋小路に鉄炮衆屋敷三が並ぶ。南の武家屋敷は三〇〇石前後、北側は二〇〇石前後の屋敷である。

赤尾口の西側に四屋敷並び(うち下屋敷三)、東西道と交差する所に奥田権左衛門の大屋敷があり、台地突端部の約半分を占める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む