日本歴史地名大系 「赤津村」の解説 赤津村あかつむら 福島県:郡山市旧湖南村地区赤津村[現在地名]郡山市湖南町(こなんまち)赤津(あかつ)福良(ふくら)村の西、猪苗代湖南岸に流入する常夏(とこなつ)川中流域の河岸段丘と山地に立地。黒森(くろもり)峠越の白河街道の宿駅。赤須(あかす)とも書く(日本輿地路程全図)。もと常夏川の両岸に集落が散在し、東を赤津治部左衛門、西を栗森備中が領していたが、赤津氏が栗森氏を討ち民居を一所に集住させ、村名を赤津としたという(新編会津風土記)。天正一八年(一五九〇)七月二〇日付の木村吉清書状(伊達家文書)に「中地・櫃沢・赤津三ケ村」とみえ、伊達政宗に三ヵ村の差出しを命じている。同一九年蒲生氏郷が天下一の茶碗焼楽常慶を会津に下向させた際、「あかつ」村に伝馬二疋の出役を命じており、この頃にも伝馬宿駅とされていた(同年一一月二一日「町野長門伝符状」楽美術館蔵)。 赤津村あかづむら 愛知県:瀬戸市赤津村[現在地名]瀬戸市赤津町・西窯(にしがま)町・中畑(なかばた)町・針原(はりはら)町・長谷口(はせぐち)町・東明(とうめい)町・窯元(かまもと)町・太子(たいし)町・惣作(そうさく)町・小空(こそら)町・北白坂(きたしらさか)町・西白坂(にししらさか)町・中白坂(なかしらさか)町・南白坂(みなみしらさか)町・東白坂(ひがししらさか)町・上山路(かみやまじ)町・山路(やまじ)町・西山路(にしやまじ)町・東山路(ひがしやまじ)町・新明(しんめい)町・白坂(しらさか)町・塩草(しおくさ)町・巡間(はざま)町・凧山(たこやま)町・鐘場(かねば)町・門前(もんぜん)町西を瀬戸村と接する。村の大半が標高二〇〇―六〇〇メートルの山。南西にわずかに開いた小盆地の中央を赤津川が流れ、その両岸に標高一六〇メートル前後の平坦地が広がる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by