赤田御待所跡(読み)あかたうまちどうくるあと

日本歴史地名大系 「赤田御待所跡」の解説

赤田御待所跡
あかたうまちどうくるあと

[現在地名]那覇市首里赤田町二丁目

首里台地の南東端、赤田(あかた)村から与那原(ゆなばる)・南風原(ふえーばる)方面への街道沿いにあった。国王の島尻方面への行幸の帰途に家臣団が迎接した場所で、祭祀のとき首里大あむしられが各地のノロと待合せた場所ともいう。付近には赤田マチとよばれた市場があった。首里古地図には赤田村の中央東寄りの石垣に囲まれた屋敷地に御待所と記される。東は道路を隔てて「男五ら」の屋敷、西は小道を挟んで平川掟親雲上の屋敷、北は「男ます」の屋敷と接している。南側は崎山(さちやま)村・赤田村の境界をなす東西道で、道を隔てて南には崎山村照屋子の屋敷がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

東日本大震災を受け2011年6月に成立した津波対策推進法で、故事「稲むらの火」にちなみ、11月5日と定めた。江戸時代の1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が発生。現在の和歌山県広川町で...

津波防災の日の用語解説を読む