漢陽(読み)かんよう

百科事典マイペディアの解説

漢陽【かんよう】

中国,湖北省東部の地名。漢水が長江に流入する南岸にあり,武昌,漢口とともに,いわゆる武漢三鎮の一つで,現在は合併して武漢市漢陽区となっている。古来軍事・交通上の要地とされ,しばしば激戦地となったが,現在は重工業地帯として発展を遂げている。漢陽区の人口は53万人(2014)。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんよう【漢陽 Hàn yáng】

中国,湖北省東部の重要都市。漢水が長江(揚子江)に流入する南岸にあり,いわゆる武漢三鎮の一つ。現在は武昌,漢口とともに武漢市となっている。三国・南北朝時代より軍事・政治・交通上の要地とされ,この地をめぐって南北勢力の激戦がしばしば行われ,辛亥革命の際にも激戦地となった。清末に漢陽鉄廠などが設立され製鉄業を中心に,製綿,製油など近代工業が発達(漢冶萍煤鉄公司(かんやひようばいてつコンス)),解放後は重工業地帯としていっそう重要性を増している。

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大辞林 第三版の解説

かんよう【漢陽】

中国、湖北省武漢市の一地区。もと独立の都市。ハンヤン。 → 武漢
韓国、ソウルの古名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

漢陽
かんよう / ハンヤン

中国中部、湖北(こほく)省の省都武漢(ぶかん)市の西部にある市轄区。人口61万9700(2013)。古来武漢三鎮の一つとして知られ、漢代すでに亀山(きざん)の上に魯山(ろざん)城が築かれたほどの軍事上の要地であった。隋(ずい)代、長江(ちょうこう)(揚子江(ようすこう))の北側に漢陽県が置かれ、漢陽が県治であった。宋(そう)代に漢陽軍が置かれ、元、明(みん)、清(しん)3代にわたり漢陽府の府治で、1912年から漢陽県となり、1949年武昌(ぶしょう)、漢口(かんこう)と合併、武漢市となった。
 漢水(かんすい)と長江の合流点、漢水の右岸、長江の北岸に位置する。清朝末期、張之洞(ちょうしどう)により製鉄所と兵工廠(へいこうしょう)(兵器工場)が設けられた。製鉄所は漢冶萍(かんやひょう)(漢陽、大冶(だいや)、萍郷(へいきょう))煤鉄公司(ばいてつコンス)により経営されたが、いまはない(日中戦争当時重慶(じゅうけい)に移設)。現在も経済の中心は工業であるが、不動産業、観光業、サービス業も発展している。長江のほとりの亀山と対岸の蛇山(だざん)の間に武漢長江大橋が架設され、亀山周辺には春秋時代に伯牙(はくが)が琴をかなでた古琴台や岳飛廟(がくひびょう)があり、五百羅漢で知られる帰元禅寺もほど近い。
 なお武漢市漢陽区に編入されなかった漢陽県の農村部は、1992年まで漢陽県として残り、祭甸(さいでん)鎮に県政府が置かれていたが、1992年武漢市に編入され、祭甸区となった。[河野通博・編集部]

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世界大百科事典内の漢陽の言及

【漢口】より

…中国,湖北省東部の大都市。武昌,漢陽とともに武漢市を形成し,いわゆる武漢三鎮の一つである。漢水が長江(揚子江)に流入する北岸に位置する。…

【武漢】より

…人口449万(1994),面積2746km2。長江(揚子江)と漢江の合流点に位置し,武昌,漢陽,漢口の3都市を合併して成った。古くはこの三つを併せて武漢三鎮と称され,交通の要衝でもあったので群雄必争の地となった。…

※「漢陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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