漢陽(読み)カンヨウ

デジタル大辞泉 「漢陽」の意味・読み・例文・類語

かんよう〔カンヤウ〕【漢陽】

中国武漢市の西部地区。漢水南岸にあり、製鉄・兵器工場があった。漢口武昌ぶしょうとともに、かつての武漢三鎮ぶかんさんちんの一。ハンヤン

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精選版 日本国語大辞典 「漢陽」の意味・読み・例文・類語

かんようカンヤウ【漢陽】

  1. 中国、湖北省武漢市を形成する武漢三鎮の一つ。漢水の揚子江への流入口の南岸に位置する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「漢陽」の意味・わかりやすい解説

漢陽
かんよう / ハンヤン

中国中部、湖北(こほく)省の省都武漢(ぶかん)市の西部にある市轄区。人口61万9700(2013)。古来武漢三鎮の一つとして知られ、漢代すでに亀山(きざん)の上に魯山(ろざん)城が築かれたほどの軍事上の要地であった。隋(ずい)代、長江(ちょうこう)(揚子江(ようすこう))の北側に漢陽県が置かれ、漢陽が県治であった。宋(そう)代に漢陽軍が置かれ、元、明(みん)、清(しん)3代にわたり漢陽府の府治で、1912年から漢陽県となり、1949年武昌(ぶしょう)、漢口(かんこう)と合併、武漢市となった。

 漢水(かんすい)と長江の合流点、漢水の右岸、長江の北岸に位置する。清朝末期、張之洞(ちょうしどう)により製鉄所と兵工廠(へいこうしょう)(兵器工場)が設けられた。製鉄所は漢冶萍(かんやひょう)(漢陽、大冶(だいや)、萍郷(へいきょう))煤鉄公司(ばいてつコンス)により経営されたが、いまはない(日中戦争当時重慶(じゅうけい)に移設)。現在も経済の中心は工業であるが、不動産業、観光業、サービス業も発展している。長江のほとりの亀山と対岸の蛇山(だざん)の間に武漢長江大橋が架設され、亀山周辺には春秋時代伯牙(はくが)が琴をかなでた古琴台や岳飛廟(がくひびょう)があり、五百羅漢で知られる帰元禅寺もほど近い。

 なお武漢市漢陽区に編入されなかった漢陽県の農村部は、1992年まで漢陽県として残り、祭甸(さいでん)鎮に県政府が置かれていたが、1992年武漢市に編入され、祭甸区となった。

[河野通博・編集部 2017年8月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「漢陽」の意味・わかりやすい解説

漢陽 (かんよう)
Hàn yáng

中国,湖北省東部の重要都市。漢水が長江(揚子江)に流入する南岸にあり,いわゆる武漢三鎮の一つ。現在は武昌,漢口とともに武漢市となっている。三国・南北朝時代より軍事・政治・交通上の要地とされ,この地をめぐって南北勢力の激戦がしばしば行われ,辛亥革命の際にも激戦地となった。清末に漢陽鉄厰などが設立され製鉄業を中心に,製綿,製油など近代工業が発達(漢冶萍煤鉄公司(かんやひようばいてつコンス)),解放後は重工業地帯としていっそう重要性を増している。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「漢陽」の解説

漢陽(かんよう)
Hanyang

韓国の首都ソウルの古称。漢江下流に位置し,周囲を山に囲まれた盆地となっている。新羅時代に漢山州が置かれ,その周囲を漢陽郡としたのが,漢陽という地名の起こりである。高麗(こうらい)時代には楊州,南京,漢陽府と変遷を遂げたが,朝鮮王朝がここに都を置いたことから大きく発展した。風水地理的に吉地とされ,それがここを都とした理由であった。朝鮮王朝時代には漢城府とされたが,漢陽の名も広く使われた。都として周囲18kmあまりの城壁に囲まれ,北に位置する景福宮を中心に,多くの建物が建造された。人口も最大で20万人を数えた。1910年に日本が植民地として朝鮮を支配すると同時に,漢城府を京城府と改め,ここに朝鮮総督府を置いた。

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百科事典マイペディア 「漢陽」の意味・わかりやすい解説

漢陽【かんよう】

中国,湖北省東部の地名。漢水が長江に流入する南岸にあり,武昌,漢口とともに,いわゆる武漢三鎮の一つで,現在は合併して武漢市漢陽区となっている。古来,軍事・交通上の要地とされ,しばしば激戦地となったが,現在は重工業地帯として発展を遂げている。漢陽区の人口は53万人(2014)。

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旺文社世界史事典 三訂版 「漢陽」の解説

漢陽(中国)
かんよう
Hànyáng

中国,湖北省東部にある武漢市の一地区
漢水(ハン川)と長江の合流点に位置する要害の地で,武昌・漢口とともに武漢三鎮と呼ばれた。1890年に製鉄所・兵器工場が設立されて以降,重工業の都市として発展。第二次世界大戦後,武昌・漢口と合併して武漢市となった。

漢陽 (朝鮮)
かんよう

李氏朝鮮の首都で,正式には漢城府と呼ばれた。現在のソウル。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「漢陽」の意味・わかりやすい解説

漢陽
かんよう

「ハンヤン(漢陽)」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の漢陽の言及

【ソウル】より

…その周辺には,石村洞古墳群など百済前期の墳墓群が知られる。統一新羅時代に入ると,全国九州のうちの漢山州に編入されたが,景徳王代の8世紀の中ごろには,漢州に変わり,その付近を漢陽郡とした。京畿湾北部の開京(現,開城)に首都をおいた高麗時代には楊州と改められたが,その後,南京(高麗王朝の別宮がおかれた),漢陽府と変遷し,さらに李朝時代には漢城府と改称された。…

【漢口】より

…中国,湖北省東部の大都市。武昌,漢陽とともに武漢市を形成し,いわゆる武漢三鎮の一つである。漢水が長江(揚子江)に流入する北岸に位置する。…

【武漢】より

…人口449万(1994),面積2746km2。長江(揚子江)と漢江の合流点に位置し,武昌,漢陽,漢口の3都市を合併して成った。古くはこの三つを併せて武漢三鎮と称され,交通の要衝でもあったので群雄必争の地となった。…

※「漢陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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