朝日日本歴史人物事典 「足利氏姫」の解説
足利氏姫
生年:天正2(1574)
戦国時代末期,最後の古河公方足利義氏の娘。9歳で父に死別し,関東足利氏嫡流の血を伝える唯一の人となった。母の実家北条家の庇護のもと古河城にあったが,天正18(1590)年の北条氏滅亡後は豊臣秀吉からわずかな領地を与えられて鴻巣館に移った。翌年,秀吉から庶流の小弓足利氏の国朝との結婚を命じられ,戦国時代に分流,対立してきた両足利氏統合の役割を果たすことになった。足利氏は喜連川氏と名を改め,近世の武家として再出発を期したが,その矢先の文禄2(1593)年,国朝が病死する。弟の頼氏が跡を継ぐと,氏姫はまたも秀吉の命でこれと結婚させられた。これらの政略結婚の裏には小弓足利氏の秀吉への政治工作があった。嫡流が庶流に吸収される形となったことへの反発からか,氏姫は夫頼氏の領地下野喜連川には移らず,子や孫と共に生涯を鴻巣館で暮らし,嫡流の意地を貫いた。館のそばの徳源院に葬られた。
(池上裕子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報