日本歴史地名大系 「足村」の解説
足
村
あしずりむら
山とも、一六八メートル)とよばれて、古来修験の霊山として信仰の地であった。なお足摺岬の現灯台が造られたとき、経筒二個が発見されている。伊佐経塚とよばれ、鋳銅製の経筒は一つが総高二三・六センチ、口径一五・五センチ、他の一つは総高二三・六センチ、口径一五・七センチで鎌倉時代のもの。金剛福寺関係の経塚であろう。
応保元年(一一六一)一二月日の幡多郡収納所宛行状写(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)によれば、この時収納使西禅から「蹉御崎」(金剛福寺)に千手観音経田三町が寄進されており、その一町は「御崎村」にあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報